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格闘技を知らなくても十分面白い〜ロシアとサンボ
サンボ(Самбо)はソ連そしてロシアの国技である格闘技です。
わたしは格闘技のことはほとんど知りません。なので「関節技ってなに」「アルゼンチン・バックブリーカーってどんなの」などと調べながら読んでいました。
わたしは著者と面識があり、それがこの本を手に取った直接のきっかけです。
この本ではサンボ成立・発展の歴史を中心に、ソ連のスポーツシステムの歴史も語られています。どちらも未知の世界なので、読んで驚きの連続でした。
サハリン出身の孤児、ワーシリー=オシェプコフが14歳の時に日本に留学、神田の神学校で学びながら講道館に通います。そして帰国後ウラジオストクで柔道クラブを設立。柔道にオシェプコフがアレンジを加え、さらにロシアの各民族に伝わるレスリング等の技が取り込まれ、サンボが形作られていきます。サンボは運動能力検定制度に採用され、ついには国技になります。
サンボはロシア人が作り出したものですが、日本には「廣瀬中佐起源説」という珍説があるそうです。この本の中で検証され否定されていますが、日本人にとって柔道が特別なものだからこそ、こういう説が出てくるのでしょうか。
柔道の影響を受けているサンボに対して、「柔道をまねて作ったもの」「日本柔道の焼き直し」という批判があるそうです。著者は歴史や技の検証、オシェプコフの技の写真や動画をサンビスト (サンボ選手のこと) と柔道家に見せ分析を依頼したりして、サンボは柔道の焼き直しではないことを示しています。この部分は門外漢にも面白かった。
著者は柔道・サンボ・ブラジリアン柔術の愛好者ですが、複数の格闘技を経験しているからこそ見えるものがあるのだろうし、それに加えてとても研究熱心な人だと思いました。
ロシアにとってのサンボがどういうものかを象徴するエピソードが出てきます。
現地取材のためロシアを訪れた著者は、シェレメチェボ空港からモスクワ市内に向かう途中、環状道路にサンボの看板が掲げられているのを発見します。その看板には青いサンボ衣を着た少年の写真と「Самбо」の大きな赤字、そして「健全な青年が、強い国家を作る」。これが約10メートル間隔で、10キロほど続きます。
そしてもう1つ。1970年設立の、現在ロシアで唯一の国立サンボ学校「サンボ70」のレポートが出てきます。ここは柔道・サンボによる教育を中心に、11年間の義務教育を行っています。サンボの授業は真剣そのもの。日本で格闘技を見慣れた著者から見ても高度な技を、10歳くらいの子供たちが使っています。
この学校のディレクターが「卒業生の多くは内務省、KGBなどの職員、軍人や警官として活躍してきました。サンボは男らしいスポーツであり、サンビストは危険な仕事に適した人材として重用されるのです」と語ります。さらに著者の「サンボ70は祖国防衛のためによき愛国者を育てているのですか」という問いに「その通り」と即答しました。
そして驚いたのがソ連のスポーツシステム。ソ連はオリンピックのメダル数で世界一、二を争う強豪国でしたが、国内でどのようにスポーツが奨励されていたかはまったく知りませんでした。
「労働および国防に備えよ」の頭文字を取った「GTO (ゲーテーオー)」という運動能力検定制度があり、国民はこれによって年齢ごとに定められたノルマを達成しなければならなかったこと。
アスリート向けの階級制度があり、これは競技力の向上だけではなく共産党の人事管理制度とも結びついていたこと。
スポーツの役割は、共産主義国家の優秀さ、共産主義イデオロギーの正しさを示す手段だったこと。
オリンピックの金メダル獲得数が国威発揚に利用されるのはソ連に限ったことではないと思いますが、それにしても凄まじい。
国家がスポーツを支援する例は多くありますが、あるスポーツの成立・発展の過程で国家の思惑が直接からむ例がどれほどあるのかは分かりません。
これはスポーツ全般に疎い人間の印象に過ぎませんが、格闘技以外のスポーツだとこうはならなかったような気がします。
ロシア人が作り出した格闘技だからこそ、共産主義イデオロギーと深く結びついたのでしょうか。
ひとつの格闘技が成立するまでに何があり、どういう思惑でそれが広まっていったか。
格闘技やロシア史の知識を持って読めばもっと踏み込んで楽しむことはできたと思いますが、知識はなくても十分面白かったです。
晋遊舎
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