NO FUTURE, NO CRY!〜東京トンガリキッズ・東京トンガリキッズ2011

東京トンガリキッズ (以下キッズ80s) を最初に読んだのは約20年前。今年、新たに「東京トンガリキッズ2011 (以下キッズ2011)」が書かれました。
この機会に、キッズ80sを改めて読み返しました。

キッズ80sを読んだのは友人が貸してくれたのがきっかけでした。確か、わたしが先に彼女に「ノーライフキング (現在は河出文庫で読めるようです)」を貸して、そのお礼で貸してくれたものだったと思います。その後文庫が発売されて購入・再読。今回が3回目です。
実際にキッズ80sを雑誌「宝島」でリアルタイムで読んでいるのは、自分よりちょっと年上の世代ですね。

自分は田舎の高校生で、ここに書かれた少年少女たちの住んでいた世界は別世界に等しい。
かろうじて「甲田益也子さんへの手紙」に書かれた山梨の女子高生が近いかもしれません。
そんな別世界の少年少女たちの姿が、意外と自分自身にすっと入ってくるのです。別世界の住人のような彼らから、10代少年少女特有のかなしみが伝わってくるからだと思います。

最初に読んだときにすごく響いたことばがあります。当時ノートに書き写していました。
ちょっと長くなりますが引用します。

 僕らは、ただのテレビにすぎない。
高い等から飛ばされた目に見えない電波を傍受し、忠実にモニターに映し出すだけ。情報を素通りさせる箱にすぎない。そこに意志や感情などありはしない。すべてはガラクタだ。それらのガラクタは七階から落下しようとする物体を加速させこそすれ、ストッパーになることなどありはしないのだと。

(中略)

 この無意味さに耐えること。

(中略)

 だから、僕は、決して落下する物体の速度をわすかながらもくいとめる力さえない僕は、それこそ僕じしん (引用者注: 「僕じしん」に傍点) が瀕死の子供の一人としていっぱいのガラクタを身にまとい七階建てビルの高さからまさにこの瞬間にもコンクリートの地面に激突する覚悟を持とう! それが、僕にできるありったけのことなのだ。
(p255「さよなら、TOKIO」)

今改めて読んでみて、やはりこの言葉は響いてきました。
「テレビ」が「ネット(とネットにつながれたコンピュータや携帯電話)」に変わりはしただろうけど、ネットに情報が氾濫する中で生きていく覚悟というのはやはりこの言葉にある通りだと思う。
そして、最初と2回目に読んだときには特になんとも思わなかったけど、今改めて響いてきたのが

NO FUTURE、 NO CRY
(未来はないけど、泣いちゃだめだ)

(p219一九八九年一月七日のパンクロック)

最近勝ち続け、笑い続けることよりも、負けないこと (これは「『負ける』ことにも負けない」も含む)、泣かないことの方が大切に感じるようになっています。これは年齢的なものがあるかもしれません。

そしてキッズ2011。「世界が終わる日、僕たちは……。2011」に、キッズ80sから1987年8月に書かれた「世界が終わる日、僕たちは……。」が併録されています。
読み比べるとキッズ2011が奇妙に明るく感じます。
この明るさが「大変だけどそれでも前向きに生きていくんだ」的な「前向きな明るさ」なのか、言葉は不適切ですが、自殺を決意した人がそれ故に非常に明るくなってしまうのと同類の明るさなのか、あるいはそんなものとは関係なく、ただ単に「♪ポポポポ〜ン!」の威力なのか、わたしには分かりません。でもその明るさのせいで、「世界が終わる日」は余計に悲痛な物語に感じてしまいました。

1987年に発せられた「世界が終わったら」という言葉と2011年に発せられた「世界が終わったら」という言葉。この2つが持つ意味合いは同じなのか違ってしまったのか。その答えはまだわたしには見えません。

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あとがき
キッズ2011にチェルノブイリ号という自転車が出てきます。主人公のお父さんがかつて使っていたものを、彼がタイヤを付け替えて乗っているのです。
このチェルノブイリ号が出てくるあたり、時間の流れ、記憶の風化をすごく感じる。
チェルノブイリの事故があったのが1986年、25年前です。かつてのトンガリキッズたちは、キッズ2011の少年少女の親世代になったんですね。

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