科学とか知性とか〜科学的とはどういう意味か

「科学」というもの、「科学的」であること。どちらも敬して遠ざけられていることが多い。敬されていないかもしれないけど。
そんな中、科学的な態度とは何か、科学的な態度を取ることの大切さ、科学的に物事を見ないと自分に不利益を被ってしまうことなどを書いたこの本を読みました。

この本に書かれている内容は、自分にすれば目新しいことはほとんどありません。「理系」の人はみんなそうでしょう。
全体の主張はその通りだと思うし、科学と聞いただけで引いてしまう人たち向けに書かれたのだろうとは思うのですが、正直この書き方でそういう人にちゃんと伝わるかなぁ、とも思う。

そして本題と関係ないところで少し引っかかりました。

今回この本を読んで思い出したのがこの言葉。

 残念ながら、日本の科学教育は、文化的な免疫力を持った強靱な知性をもった若者を育てることをしてこなかった。真の知性は、『源氏物語』を読み、『ユリシーズ』に苦しみ、ニーチェにおののき、アインシュタインを尊敬し、UFOや宇宙人の話を喜んで聞き、星占いに興じ、ラヴェルを聴き、カラオケでビートルズを歌うことから育つのであって、決して、子どもの頃から塾に通い、青春時代に濫読もせず、占いやオカルトなど非科学的なものを排撃し、科学の異端説を侮蔑し、現状での科学の定説だけを清く正しく頭に詰め込むところには育たないのである。
 テレビで口角泡を飛ばして、真っ赤になってオカルトを排撃している「科学者」をみて、あなたが知性というものを感じなかったとしたら、おそらく、あなたの直感は正しいのである。
(竹内 薫・竹内 さなみ「シュレディンガーの哲学する猫」p197「偏りと闘うアナーキズム ファイヤアーベント」。読書記録はこちら)

 

森博嗣自身は人が非科学的なものを信じること自体は非難していません。
彼自身は非科学的なものは信じない、という態度をとっていますが、本当にそうなんだろうか。
森博嗣の著作を読んだのはこれが初めてで、作品に接したのは映画版「スカイ・クロラ」だけです。小説は読んだことがありません。
しかし非科学的なものを信じる心が全くないところで、小説なんか書けるんだろうか。

「科学的であること⊆知性」だと思うのですが、例えば竹内薫のこの主張を読んで森博嗣はどう答えるか、ちょっと聞いてみたい気がします。

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