「わたし」って? 〜 これ、わたし
「たくさんのふしぎ」の1冊、さわだともこ「これ、わたし」。「たくさんのふしぎ」を読んだのは初めてです。澤田知子さんの作品を見るのも、これが初めて。
「これ、わたし」には34枚のセルフポートレートが掲載されています。服装はすべて青いタートルネックで、メイクと髪型、アクセサリーなどで変身しています。
人の印象は髪型とメイクでかなり変わるものだ、ということはもちろん知っているし、実際に変わった場面にだってたくさん出会ってきました。これは大人なら誰だってそうでしょう。
メイクは女性ですが、男性だって髪型で印象が変わる。めがねまで含めたアクセサリーで変わるのも男女同じ。
それでもそれを34枚連続で見たら、とても妙な気分になりました。「同じ人には見えない」写真がたくさんあります。しかしわたしはそこに映っている人は1人しかいないことを知っている。それはセルフポートレートという手法があることを知っているからだろうし、ある人がまるで違ったイメージに変わる場面を実際に知っているからでしょう。
「たくさんのふしぎ」は小学3年生以上対象の雑誌ですが、例えばセルフポートレートなんて知らない、人のイメージが髪型やメイクで変わる場面を知らない小学生がこれを見た時にどんな風に思うのだろう。
これだけの「同じ人に見えない同一人物の写真」を見て、その人が「その人だ」と思うのは結局何が決め手なんだろう、という素朴な疑問が残りました。
澤田さんの作品ではOMIAIが気になります。お見合い写真という、あの独特の写真をどう表現しているのか。
福音館書店 (2011-11-02)
余談
写真の内容からはそれますが、ぱっと見で「男性に見える女性」「女性に見える男性」は、何が「決め手」でそう見えるのか、これがわからない。髪型やメイクの有無、さらには服装でもない気がするのです。
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