《書評》ぐうの音も出ない〜水曜日は狐の書評

水曜日は狐の書評 —日刊ゲンダイ匿名コラム (ちくま文庫) (文庫)

「狐の書評」とは、1981年2月から2003年7月まで、日刊ゲンダイに週1回掲載された匿名新刊紹介コラムのことです。その書評の書き手が <狐> と表記されていました (コラム名は途中で何度か変わっているようです)。
日刊ゲンダイは読んだことがないけど、匿名書評家「狐」のことは、昔の本の雑誌で読んで知っていました。とにかく面白い書評だ、と紹介されていた

図書館で見つけて、読んでみることに。紹介されている本は200冊。1999年5月から2003年7月末までに書かれた書評で、小説・まんが・写真集・料理本など、ジャンルは様々。字数は1冊800字。自分が読んだことがある本は8冊。うち4冊がまんが

普 段本を読みながら、気になるところに付箋を貼っているのですが、今回は文章だけでなく「これは読んでみたい」と思った書名にも付箋を貼りまくりました。 貼ったのは61冊。おかげで文庫本がライオンになってしまった。そして、読んでいて楽しかった。知らない本に出会う楽しさだけでなく、純粋に「本を読む楽 しさ」を味わうことができた。

狐氏の1冊目の書評集「狐の書評」が行きつけの図書館閉架にあることがわかったので、今度借りようと思います

どうして彼 (文章から男性と思われる) は、こんな楽しい書評を書けるのだろう。ある書評を例にして考えてみます

取り上げるのは小林カツ代「料理上手のコツ」。狐氏は、小林氏の文章を高く評価しています。

本書は、料理をおいしくする基本のわざのあれこれにつき、カツ代流の知恵を込めて語る一冊。分かりやすい。イメージの喚起力が並でない。テレビの料理番組などで有名な著者ではあるが、文章家として広く知られているとはいえないだろう。それが惜しい。

引 用した文章の直前では、小林氏が「弱火」「煮含める」を説明した部分が引用されています。狐氏は小林氏の文章の特徴を「イメージの喚起力が並でない。」と 表現しています。わたしは狐氏の文章のイメージの喚起力もまた並でないと思う。「分かりやすい」と一言で言っても、何がどう分かりやすいのか、を短く的確 に伝えることは難しい。自分自身が「何がどう」をきちんとわかっていなくてはならないだけでなく、「何がどう」を誰にでもわかるように表現しないといけな いから。
なんか当たり前の結論に落ち着いてしまいますが、狐氏はその本を読んで要所を的確につかんだ上で、その要所を一読でわかるように伝えてい る。そしてなにより、本が好きな人なんですね。本に対する愛情が行間から伝わってくる。さらにその愛情におぼれることなく、的確に批評する (ここでは評価の文章を取り上げましたが、批判もあります)。きっと愛情と批評のさじ加減がとても上手いのだと思う。

もう一つ引用します。狐氏は川原泉をかなりひいきにしておられるようです。わたしもファンなので、ちょっとうれしい。

その川原泉「ブレーメンII (1)」の書評ページから。

自慢ではないが、一度くらいは引き倒してみたいほどに川原泉のマンガをひいきにしている。しいて分類するなら少女マンガと言うことになるが、たしかに、そんなものは敬遠するのが健康な大人の読者といえるだろう。読む本は選ばねばならない。人生はあまりに短いのである。
しかし何事にも例外というものがあるのが、これまた人生であろう。川原マンガこそはその例外中の例外、とりわけ、なかんずく、ことさら、別して、読まれる べき少女マンガなのである。…いかにも西洋的な (つまりは少女マンガ的な) 美男美女の顔が、純モンゴロイドの顔にくるくる変わる自己反省の深さが勘どころだ。
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…結末はまだ分からないが、馬鹿馬鹿しさ、脳天気さ、お気楽さ。まったく人生はあまりに短く、読む本は選ばねばならない。そしてこういう本こそ、選ばれるべきなのだ—-、呑気なフィクション (うそ、はったり) を遊んでみるためには。
(引用者注: 「ブレーメンII」はすでに完結しています)

わたしは「自己反省の深さが勘どころだ。」をよんで、膝を打ちました。自分が川原泉の絵に感じていたものはこういうことだったのか、こう表現すれば良かったのかと。

本を読んで、書評と称して好き勝手なことを書き散らしているだけの自分がこんなことを言うのはおこがましいのだけど、こういう文章が書けたら、と思う。本のことを的確に紹介し、文章そのものも面白い書評。道は果てしなく遠いけど、いろいろ挑戦していきたいと思います

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