これはすごいものを読んだかもしれない〜食魔

岡本かの子を読んだのは初めてです。
嵐山光三郎「文人悪食」で紹介されていた「家霊」「鮨」という2つの小説を読んでみたくて手に取りました。

食に関する小説はそれほど読んだことがないので外れているかもしれないけど、類型として「美食を追求する小説」と「他の命を殺して食べる人間の罪深さを書く小説」があるように思います。
岡本かの子の小説はどちらでもない。食べずには生きられない人間の業があるとして、その業を否定するのでもなく、すっかり忘れて美食に走るのでもなく、真正面から受け止めたような小説だと思った。

例えば「家霊」はどじょう店が舞台の小説なのですが、店で出される料理の描写や、職人がどじょう汁を食べる様子の描写が非常に生々しい。ぞくっとする。わたしはどじょうは食べたことがないけれど、確かに食べ物にはこんな風な生々しさがあることが思い起こされた。だけどその生々しさは決して嫌な感じのする物ではない。
食べ物そのものの描写、そして食べ物を巡る人々の描写がどれも生々しい。
そして「鮨」。鮨を通して描写される男の来し方が美しい小説だと思う。一言で片付けてしまいましたが、この作品を読んで感じた心のざわめきがうまく表現できない。自分の表現力や語彙が貧困なのが非常にもどかしい。

この2作品を読了して「これはすごいものを読んだのかもしれない」と本当に思った。小説でもなんでも、何かを読んでそこまで感じることはそうはないことです。

そして随筆。欧州旅行中に様々な店を食べ歩いた経験を書いたものと、日本での食べ物について書かれた物とに大別されるのですが、欧州旅行での随筆が面白いです。パリの超高級店から安食堂まで行っていたらしく、それらのレストランで出される料理、厨房や客の様子を実によく観察している。随筆のひとつに「食魔(グウルメ)に贈る」があるのですが、グルメが「食魔」というのはうまいですね。

ここからは余談です。
「田家の兎料理」という随筆があります。昭和12年に書かれた、兎肉の食べ方を書いた2ページ足らずの随筆です。
うさぎはヨーロッパではポピュラーな食材だけど、現代の日本ではほとんど食されることがないと思います。しかしある程度年配の人にとっては「うさぎ=食べ物」なんですね。
わたしはうさぎを飼っていますが、わたしの祖母 (95歳) はかつて、帰省の際に連れ帰ったうさぎを見て「食べないのか」と言いました。
もちろん「食べないよ」と答えましたけど。
でも、かつてはうさぎや鶏を自分たちで絞めて食べることは、特別なことじゃなかったんですよね。

 

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あとがき
ヒマラヤン♂の月光が先日8歳になりました。うちに来るときブリーダーに「7歳くらいまで生きます」と言われましたが、無事8歳になりました。じいさんになりましたが、どちらかというと「老化した子うさぎ」という感じですww 最近さすがに動きが緩慢になり、寝ている時間が増え、毛もぼそぼそになってきたけど、元気で長生きしてほしいです。

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