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自分も「イエス」と言えるように〜それでも人生にイエスと言う
今年の春に「夜と霧」を読みました。その後、「夜と霧」を手渡してくれた stilo から「読め」と言われた本です。
この本は、著者が強制収容所から解放された翌年の行った講演をまとめたものと、訳者によるこの講演内容や著者の思想への解説で構成されています。
著者は講演の中で、強制収容所での生活や医師としての経験から、「どんな人生にも意味がある」ことを説いています。
その核心は
…私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答を出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。…
(p27「人生が出す問いに答える」)
という言葉に収斂されると思います。
しかし、人は「この人生にはどんな意味があるのか、生きることに意味があるのか」というように、この言葉とは逆に考えがちなもの。人生の問いに答えること、自分たちが問われている存在であることを理解し、その問いに答えるように生きていくことは、実は結構難しいことなのではないかと思いました。
しかし人生は思い通りになるものではないけれど、自分で動かしていかないと動かないものであるのも事実。自分の人生をどう動かしていくか、どう動かしていきたいかを考え、動かそうと行動していくことは、人生の問いに答えることにつながってくるでしょう。
タイトルの「それでも人生にイエスと言う」は、強制収容所で歌われていた歌の一節「それでも人生にイエスと言おう」からきています。強制収容所のような場所でも、人々が「それでも人生にイエスと言おう」と歌っていたことは、強烈な印象として心に刻まれました。
そして「心の支え」の大切さ。人によっては自分を待つ家族かもしれないし、やり残した仕事かもしれないし宗教かもしれない。心の支えを失い「典型的な強制収容所囚人」になってしまった人、あるいは病に倒れなくなってしまった人。
この本は2回読みましたが、正直言って講演や解説の内容を理解したとは言い難いです。それでも生きる意味や自分の人生にどうか関わるか、という非常に根本的な部分に思いを巡らせることができて、この本は読んでよかったと思っています。
楽しくなかったけど、読んでよかった〜グズの人にはわけがある
ここでいう「グズ人間」とは、「先のばし癖」のある人のことです。先のばし癖があると、他人に迷惑がかかるだけでなく、自分自身も追い込まれてしまい、いいことは何もありません。
この本では、6つにタイプ分けされています。
- 完璧主義者タイプ「でも、完璧にしたい!」
- 夢想家タイプ「でも、あんな面倒なことをするのは嫌だ!」
- 心配性タイプ「でも、変わるのが怖い!」
- 反抗者タイプ「でも、なぜ私がしなければならないんだ?」
- 危機好きタイプ「でも、ギリギリまでやる気になれない!」
- 抱えこみタイプ「でも、ほかにすることが多すぎて!」
これらのタイプそれぞれについて、どういう点が問題か、実際の症例、考え方・話し方・行動様式のそれぞれに対する先のばし癖克服法の提案からなっています。
各タイプの説明に入る前に「グズ人間度自己評価テスト」があります。このテストで自分がどのタイプかを判断するのですが、1つにしか当てはまらない人はまれで、たいていはいくつかが独自に混合された性格を持っています。
各タイプ20点満点で、10点以上になったタイプが「主要タイプ」、9点以下が「副次タイプ」とされているのですが…。
わたしの場合、危機好きタイプ以外のすべてが10点を超えてしまいましたorz
もちろん1つのテスト結果に縛られる必要はないし、この結果が絶対だとも思いません。しかし、結果が突拍子もないものだとは思えなかったし、それぞれ心当たりはあったので、自分自身をある程度は言い当てていると思います。
実際読み進めて非常に困ってしまいました。自分のグズさを、具体的にこれでもかと見せつけられた気がしたからです。しかもその例が、心当たりがあるものばかりだったからです。
なので読んでいて全く楽しくありませんでした。しかし読んでよかったと思います。
自分のどういう面がグズなのかが具体的になったこと、それらの解決のためのヒントが見えてきたことは収穫でした。
これまでの自分の「グスさ」が、何かが絡み合って丸まっている、しかも何が絡まっているか全くわからない状態だったとすると、この本を読んむことで、何が絡みあっているかはわかる状態になれたかなと思います。
もちろん問題はこれから先どうするか、なんですが。グズを克服=長年染みついた行動や思考を強制するのは容易なことではないでしょう。色々からみついた状態では余計に。
この本を読んだきっかけはいくつかあるのだけど、結局は自分がグズだという自覚があること、グズを克服しない限り、何をやってもうまくいかないし、自分にも自信が持てないだろうことに、遅ればせながら自分が気がついたことが一番の動機だと思う。
例えば仕事でなかなかうまくいかない自分がいて、それはスキルとかキャリアの問題だとずっと思ってました。確かにそれも問題ではあるのだけど、もっと根本に問題があるのではないか、と。この年になるまでそれに気がつかなかったてのも情けないけど。
現在この本を1度通読したところなのですが、この本は何度か読み返し、一つ一つの克服法をやってみる必要があると思いました。
文藝春秋
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《書評》厄介ものとうまくつきあうために〜「つい悩んでしまう」がなくなるコツ
悩みはやっかいなものです。
生きていればあらゆる事が「悩みの種」になりうるし、「悩みがなくなれば」と考える人は自分も含め多いでしょう。悩みのせいで自分やりたいことができなかったり、苦しい思いをすることも少なくありません。
自分自身はこの本のカバーにあるような「カチンときた一言が何日も忘れられない」「失敗を何回も思い返してしまう」ことが多く、こういうことをなくしたい、少なくとも頻度を下げたいと思って、この本を手に取りました。
正直に言うと、最初に読んだときはよくわからなかった。「よくわからない」だけの本だったら、再び読み返すことはなかったでしょう。時間の無駄だもの。でも何か引っかかるものがって、再度読んでみました。
悩みを減らすキーワードは「自分がどう思っているかを大切にする。自分がしたいことをやる」。
悩みは何か、と聞かれたとき、いくつも悩みが出てきたりしますが、実はそれらの悩みは根本が一つであることが多いといいます。自分が目下抱えている悩み (思い出すのもつらいことではなく、軽いものでOK) を具体的に書き出してみることで、自分の悩みが何から発しているものなのか、自分が何を求めているのかをつかむことが大事。
悩みの解決が一見困難に思えるのには、「悩みグセ=思考グセ」がついているから。ぐるぐるした思考にはまって、他者を気にしているうちは悩みはなかなかなくならない。むしろ自分の気持ちや感情に沿った選択をした方がうまくいく。
必要なのは、自分の感情を受け入れること。例え不安や焦り、苛立ちといったマイナスの感情であっても、それは自分の心と体の一部なのだから、感情そのものを否定せずに受け入れることが大切。
自分がよく分からなかったのが、この「自分の気持ちや感情に沿った選択をする」ということ。わたしは自分が何を考えているのか分からなかったり、自分が感じているものを言葉に変換して表現するのがとても苦手なのです。こういうことになるのは自分の語彙の問題、あるいは思考力や表現力の問題だと思っていたのですが、むしろ自分の気持ちに鈍感だからなのではないか、そして自分の気持ちに鈍感な分、他人基準になってしまっている面があるのかもと思えてきました。きちんと自分の気持ちや感情を感じ取れてないから表現ができないのかもしれない。
自分にとってはちょっとした衝撃だった言葉がありました。それは
「みんな、悩んでいるのが好きなんですよ」
というもの。悩みを軽くとらえてほしい、との思いから、著者がよく発する言葉だそうです。
また、悩みは自分を守ってくれる役目もあるということ。
例えば「悩みがなくなったら○○したい」と思っていても、無意識で「本当は○○をしたくない」思っていたとき、つまり本当は望んでいないことを「自分の理想的なあり方」と信じてしまっているとき、無意識にその○○をしないようにするために悩みが起きる、とあり、これは少し驚きました。
悩みなんて厄介者でしかなく、なくなればどんなにかせいせいするか、と思っていたけど、実は悩みが自分を守っているなんて考えたこともなかった。
個人的には、心の中にある恐れを克服する方法、自分がやりたいことが周囲にどうしても受け入れられなかったり、実現が難しい場合の対処法まで書いてあればよかったな、と思います。これらは自分の考えで変えていかなくてはならないことだけど、そのためのヒントがあればもっとよかったと思う。最初に書いた「カチンときた一言が何日も忘れられない」「失敗を何回も思い返してしまう」ことにしても、具体的にそれを減らす方法をつかめたかというと、そうでもない。ぼんやりした感じは残る。でも、この本を読んだことは無駄ではないと思っています。
自分にとっては、悩みの正体に少し触れることができたこと、悩みというものをこれまでにない角度で見ることができたことが、この本を読んだ最大の収穫だったかもしれない。
とにかく厄介者、早くなくなってしまえとしか思っていなかったけれど、悩みの奥にあるもの、悩みを発しているものを知ることが大切なのかも、と感じました。
悩みと真正面から向き合うのは楽しい作業ではないだろうけど、自分をつらくしないためにも、その悩みの根本にあるものが何かをつかめるよう、自分に向き合い、自分をいたわる時間を増やしたいと思う。
完全に悩みのない状態などはあり得ないでしょうが、それでも悩みというものに対して、新たな視点を得ることができたのは収穫でした。
《書評》「普通」というのは難しい、いろんな意味で〜「普通がいい」という病
この本は、精神科医である著者がカウンセラー志望者などに向けた講座内容を一般向けに構成したものです。
「普通」という言葉はあたりまえのように使われますが、実は結構曖昧な言葉なのかもしれません。そして曖昧ながら、人を縛る力が強い言葉でもあるわけです。この本には「自分で感じ、自分で考える」という基本に支えられた生き方を回復するためにはどうしたらいいか、そのためのキーワードやイメージがが数多く登場します。
自分にとって特に印象的だった点を書きます。
第2講に「言葉の手垢を落とす」というのがあります。「言葉の手垢」とは、言葉にくっついている「ある世俗的な価値観」のことです。一度ある言葉を獲得してしまうと、その言葉についてじっくり考えたりそこにどんな手垢がついているのか吟味せずに、ただただ使っていってしまう。しかしそれが後々、物事を見たり考えたり判断する上で大きな影響を及ぼすようになる。それを思うと、言葉を不用意に扱うのは、実はとても恐ろしいことであると言えるのではないか。
この章をを読んで、はっとしました。確かに普段言葉を使うとき、特に考えることなく、何気なく使ってしまうことが多い。でもその言葉によって、
言葉を受けた相手を縛ったり、あるいは自分自身を縛ってしまう可能性がある。
自分が使う言葉すべてを吟味するのは現実には無理だろうけど、自分が発した言葉についた手垢がどういうものか、どういう意図で自分がその言葉を使ったのか、折を見て振り返るようにしたいと思います。
あと第8講「生きているもの・死んでいるもの」では、美術家の横尾忠則氏と医師の木村裕昭氏の対談が引用されているのですが、この中に木村氏の発言で
「…敏感な人は、同時に神経が細いというやっかいなことがある。だから、敏感になって太ければいいわけです。…」
とあります。わたしはこれを読んでびっくりしました。よく「敏感で細い」「鈍感で太い」という言い方はしますが、「敏感で太い」というのは考えたこともなかったからです。
この引用の直前で、人が成長し社会化されていく上で、どんな人も必ず通る「適応」のプロセスについて、その中で「本当の自分」を発見し、それを活かす方向に進めた場合と、うまくいかなかった場合について論じられています。
著者は「本当の自分」をしっかり持ち、さらに処世術的なテクニックを身にまとう事で自分自身を守ることの必要性を説いています。
自分のあり方を考えたり、自分以外の人や世界との関わりを考える上でのよいテキストだと思いました。
気持ちが沈んだり、自分を押さえ込みがちになってしまったときに、再び読んでみたいと思います。
講談社
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