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「ブログゼミ」申し込みました
「シゴタノ!」さんのブログゼミに申し込みました。会場受講ができないのでメール受講です。
このブログを始めて8ヶ月、前身の「貧民夜想會 旧館」から約2年半。つらつら書いてきていますが、もう少しいろいろなんとかしたいと思っているので受講することにしました。
やりたいことをできるように、長く続けるためにもやってみよう
話す・書く・行う
twitterでこれを見て、考えてみました。
話す・書く・行う。
虹の父さんが考える話す・書く・行うとは違うかもしれませんが、自分なりのとらえ方です。
話す人
自ら声を発する表現が最も重要
書く人
文字にての表現が最も重要
行う人
話す・書く以外でなんらかの表現をする。絵とか音楽とか起業とか、いろいろなものが考えられるか
こんな感じでしょうか。
自分は志向としては「書く人」だと思います。なんとなくですが「書いてみたい」という気持ちは結構前からあるし、数年前、知人の編集者に「書く気はないの?」と問われたときも、「書きたいと思う」と答えているので。
でも実際はどうだろう。
書きたいことなんか何もないくせに断片がカサカサ頭の中で音たててて
いざ書いてみると ひょっとこでおっちゃらぴーのうわごとのたわごとなんだ
岡崎京子「pink」
のように、頭の中がかさかさ音を立てている状態が延々続いて、結果「書く」に結びつかない状態が続いている気がする。
先の引用の台詞には、次のような返答があります。
世の中にはすてきなたわごともうわごともあるわ
そーゆーよーなものを書けばいいんじゃない?
たぶん、(素敵かどうかは別として) うわごとやたわごとでも、書けばいいのだろう。うわごとやたわごとでも、書いているうちに、いつか本当の「ことば」に行き当たるかもしれない。
《書評》書け、書け、書け、己に出会うために〜「魂の文章術—書くことから始めよう」
この本はタイトルに「文章術」とあるけれど、書かれているのは具体的なテクニックやハウツーではありません。紙 (やコンピュータ) に向かってひたすら文章を書くことで、自分自身に向かい合い、自分を知る方法が書かれています。
よく「自分を知るためのテスト」といったものがありますが、どうもわたしにはぴんと来ないものが多いのです。でも自分を知るために書く、ということはしっくりきました。
おそらく、テストは最終的になんらかのタイプに自分を当てはめることになり、タイプがいくらあろうとも、結局「すでにある形」にはまるからだろうか。それに対して書くことはそれこそ不定形だから、「よくわからないもの」は、そのまま「よくわからないもの」として認識できる (はず) なので、その違いによるのかもしれない。
本の中に「第一の思考」という章があります。
- 手を動かし続け、書いたものは消さない
- 文章のレイアウトや句読点の誤りは気にしない
- コントロールをゆるめ、考えない、論理的にならない
- 書いている最中にむき出しの何か怖いものが心に浮かんできたら、それに飛びつく
というルールのもとに、時間を区切って心に浮かんだことをひたすら書き付けていく「文章修行」について書かれています。これは「
今からでも間に合う大人のための才能開花術」にあった「モーニング・ページ」に通じるものですね。これは今度やってみようと思っています。
春秋社
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余談
この本は友人あめいちゃんに借りました。以前「今からでも間に合う大人のための才能開花術」を借りたあと、「次はこっちを貸してあげるね」と薦められた本です。先約の数人の間を回ってやってきました
読了後、結局自分で購入しました
実は前出の文章修行およびモーニング・ページを見て、連想したものが2つあります。
1つは大島弓子「ロングロングケーキ」に出てくる「宇さん」。主人公の頭の中に埋もれている何億という物語をすくい上げ、小説にしていった宇宙人。
もう一つは高橋悠治「カフカ・夜の時間—メモ・ランダム」に出てきた一節
…自分用のノートがある。本からの抜き書き、音やリズムの思いつきにそえたメモ、演奏のしかたについての走り書きなど。
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このノートは方法論のためだと、ずっと思っていた。だが、目標や方法を信じなくなったあとでも、やはりノートはつづく。そこで、気がついた。これは、音楽の前の、朝の祈りのようなものだった。
なぜこの2つが出てきたのかは自分でもよくわからない。どちらも「書く」「表現する」ことに関わる内容ではあるけれど、「魂の文章術」と直接結びつく内容でもないのに。