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今年後半に読む本リスト
今年も半分が終わりました。今年は6月末までに29冊の本を読みました。予定より少ないですが、自分のペースで読んでいこうと思います。
さて、「いつか読もうと気にはなっているが、なかなか手が出ない本」というのがあります。なかなか手が出ないので、思い切って作ったことのない読む本リストを作って、半年間で読んでいこうと思います。
それでも人生にイエスと言う
@stiloに読めと言われた本。読めと言われたからには読まねば
アフリカの日々
昔からなんとなく気になってはいた本。「高校生のための文章読本」に出てきたので、せっかくだから読もう。
晶文社
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食魔 岡本かの子食文学傑作選
岡本かの子は読んだことがないのだけれど、文人悪食に取り上げられていて気になっていたので。
講談社
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他者の苦痛へのまなざし
「初めてのスーザン=ソンタグ」に向いている本かどうかはわかりませんが。
パルムの僧院
池澤夏樹が「読書癖〈2〉」で、「電子書籍で『パルムの僧院』を読むのは、やっぱり楽しくないだろう」という趣旨のことを書いていた (本が手元にないのでうろ覚えご容赦) ので、読んでみようかと。
数学ガール
数学から離れて久しいけど、気になるので読もう。
どれも簡単に読める本ではないけど、スピードを気にせずにじっくり読みたいと思います。
そして、西三河朝会の課題本。自分が読みたいだけでなく、参加者の皆さんが楽しんで読める本を選ぶようにがんばります。
さらに余裕があったら、池澤夏樹「読書癖3」「読書癖4」も読もう
読書マラソン「東海道八十次」
先日岡崎市立中央図書館 (注: 音が出ます) に行ったら、こんな紙が置いてありました。
国際読書年にちなむ読書推進企画のようです。
80冊になった根拠はなんだろうと思ったけど、ここに書いてあるように五十三次と二十七曲の数字がすべてなんでしょうな。
80冊という分量は週に1.5冊で約1年間かかりますが、普段本をあまり読まない人にとっては結構なボリュームですね。自分は読むのが早くないので、週に1.5冊だとややハイペースに感じる。特に期間は決められていないようなので、自分のペースで読めばいいようです。夏休みのラジオ体操のカード (って今でもあるのか?) と同じで、埋めていく楽しみがあるし。
自分はこれではなくてメディアマーカーで記録取ってますが。
表の下に
ゴールのころには、本の中にある世界の半分を手に入れられるかも。
と書いてありました。いろんな解釈が可能な言葉ですが、自分がこれで連想したのが齋藤孝「読書力」のこと。齋藤氏は「思考活動における素地を作るための読書」について言及していましたが、この「志向の素地」と「本の中にある世界の半分を手に入れ」ることが、どこかでつながっているような気がしたのです。
もちろん本の内容によりますが、その本に書かれた内容すべてをわかるというのは、なかなかできることではありませんからね。
ちなみに自分の今年の目標冊数が80冊です。なかなか難しそうではあるけど、気にしつつもとらわれずに読書を続けていきます。
「勝つに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
先日購入した地元情報誌のコラムを読んでいたら、最後に
「勝つに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
が引用されていました。これは野球の野村監督がよく使う言葉ですが、もともとは江戸中期の肥前国平戸藩の藩主、松浦(まつら)静山の言葉らしいです。
これを読んで、大学の試験の話を思い出しました。
どちらも自分が受けた試験ではありませんが、先生から直接聞いた話です。
どちらも理工学部の一般教養での話です。
倫理学の先生が、期末試験で「勝つに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」について論じろ、という問題を出したそうです。
すると答案に
「俺は野村なんか大嫌いだ、だからこんな言葉についてなんか論じたくない」
と書いてきた学生がいたそうです。先生は点をあげたそうです。
自分はビジネス雑誌などを読んでいて、「成功した人の言葉って役に立つのか?」と思ってしまうことがあります。そんな話を先生にしたときに返ってきたのが、この松浦静山の言葉と、試験の話でした。
もう1つ、これは哲学の試験の話。
期末試験で「アキレスと亀」のパラドックスについて論じろ、と出題したところ
亀は気まぐれだからまっすぐ進まず、立ち止まったり逆走したりするから、この試行はランダム性が高い
という趣旨のことを書いてきた学生がいたそうです。先生は点数をあげたそうです。
余談
松浦静山は名画日本史—イメージの1000年王国をゆく〈1巻〉によると、京都で松浦屏風 (大和文華館所蔵) を入手した人のようです。大和文華館は現在リニューアル中で、今秋にこの屏風が公開されるようなので見に行きたいと思っています。
朝日新聞社
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海亀のスープ
「高校生のための文章読本」に、イサク=ディネーセンの「イグアナ」という文章が収録されています。出典は「アフリカの日々 (ディネーセン・コレクション 1)」。
この本をAmazonでチェックしたとき、「バベットの晩餐会」が彼女の作品であることを知りました。映画のバベットの晩餐会は、10年ほど前にビデオで見ています。中沢新一の本 (タイトル失念。エッセイ集?だったと思う。「YELLOWS」についても触れられていた) で取り上げられていて、それをきっかけに見たのです。とても美しく、いい映画だった記憶があります。
さて、「バベットの晩餐会」で反射的に思い出したのが「海亀のスープ」。海亀をスープにすることはこの映画で知りました。そして思いつきで「海亀のスープ」で検索したところ、そのものずばり「海亀のスープ」 というゲームがあること、「世にも奇妙な物語」 にも同名のドラマがあることを知りました。バベットの晩餐会とはかけ離れた世界だけど、これはこれで面白そうだ。
「アフリカの日々」も「バベットの晩餐会」も、読みたい本リストに入りました。せめてどちらかは今年中に読みたい。
晶文社
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筑摩書房
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自分にとっての古典とは何か (追記あり)
先日《書評》本との向き合い方の1つのモデル〜読書と社会科学というエントリを書きました。これを @claclapon さんに取り上げていただきました。ありがとうございます。
こちらに「自分にとって「古典」に当たる本」について書かれています。自分がエントリを書いたときは「自分にとっての古典」には考えが及ばなかったので、考えてみました。
自分にとって「これぞ古典」という本は、高橋悠治の 「カフカ・夜の時間—メモ・ランダム」です。今では図書館か古書店で探すしかない本。発売されて間もない頃に購入し、今まで何度読み返したかわからない本です。何度も読み返したためにかなり汚くなりましたが、今でも大切に持っています。
高橋悠治を知ったきっかけは、おそらく坂本龍一との対談集「長電話」(まだ持っている)。これを読んだときはまだ「千のナイフ」は聴いていなかったと思うので。
「千のナイフ」収録の「グラス・ホッパーズ」で坂本龍一と高橋悠治がピアノの連弾をしています。
余談ですが、この曲を聴いた友人 (ピアノを長くやっている) が「下手な方が坂本龍一か?」と言っていました。
タイトルに「メモ・ランダム」とあるように、様々な形式の文章が詰まっています。中心となるのは音楽論や作曲ノートなのですが、詩のような作品、エッセイ、他の音楽家のコンサート等のために寄稿したと思われる文など。
文体は、二十歳くらいの妙に感覚がとがったときに読むとものすごいはまる感じ。読んだときは強烈にはまったものです。現在は当時に比べれば冷静に読んでますが、読み返すたびに発見がある本です。
印象に残る言葉はたくさんあるのですが、2つ引用します。
1つは
…
平和という名詞には動詞がない。
たたかうことは行為なのに。平和は不在によって定義できるだけ。
人間にとっての平和は戦争の前と戦争の後でしかない。
いまが平和ならやがて戦争になるだろう。
…
(p108 「レナード・バーンステインの『平和のためのミサ』によせて」)
そしてもう1つ
…自分用のノートがある。本からの抜き書き、音やリズムの思いつきにそえたメモ、演奏のしかたについての走り書きなど。
ノートは最後のページまで使うことはなく、途中で放棄する。何年かたつと、別なノートにまた、おなじようなことを書く。ここには蓄積がない。わずかな思いつきの変奏があるばかりだ。本からとった他人のことばも、姿を変え、意味を変えて、別なものになっていく。
このノートは方法論のためだと、ずっと思っていた。だが、目標や方法を信じなくなったあとでも、やはりノートはつづく。そこで、気がついた。これは、音楽の前の、朝の祈りのようなものだった。
(p134「音に向って」)
この本はこれからも読み返していきたいし、ずっと大切にしたい。
2010年4月18日 18:46 追記
「レナード・バーンステインの『平和のためのミサ』によせて」の引用ですが
「たたかうことは行為なのに。平和は不在によって定義できるだけ。」
という箇所を
「たたかうことは行為なのに。戦争は不在によって定義できるだけ。」
と記載しておりました。本文は修正済です。意味がまるで逆になっていました。
申し訳ありませんでした。
雑誌の読書特集
時々雑誌で読書特集が組まれます。現在だとananがそうだし、少し前のBRUTUSや、去年になってしまいますが日経 WOMANの2009年8月号など。自分が気がついたのはこれくらいですが、他にもあるかもしれません。
こういう特集を見ると、とりあえず雑誌を手に取ってみるのですが、これまで買うに至ったことがありません。掲載されている本に興味がないわけではない、しかしなんか触手が動かない (まあ、ananに関しては元々自分とはかなり縁遠い雑誌だから、というのが一番の理由ですが。ぱらぱら見たところ面白そうな本は載っていたけど、やはり買う気にはならなかった)。
元々雑誌はあまり買わないのですが、それでも手に取った雑誌の書評は必ず見るし、そこから興味を持って読んだ本もある。「シュレディンガーの哲学する猫」なんか、スポーツジムにおいてあったオレンジページに掲載されていたのを見て、それで図書館で借りて読んでるし、「公僕—The Japanese civil servant」は立ち読みした週刊文春で特集されていたのを見て買ったし (しかし、その後マンションの水漏れの被害にあって開かなくなりました…)。
雑誌の書評自体は気にしてみるのに、読書特集を組んだ雑誌には食指が動かない。なぜなのか自分にも分かりません。
ちなみに書評雑誌に関しては、本の雑誌はかなり昔に読んでいたことがあるけど、ダ・ヴィンチは読んだことがありません。
「20歳の20冊」、そして自分は何を読んでいたか
「20歳の20冊」 というセレクションがあるようです。
選者には知らない人はいません (少なくとも全員名前は知っている) でしたが、読んだことのある本は1冊もありませんでした。選者にしても選ばれている本にしても、基準が今ひとつわかりませんが。
財団法人出版文化産業振興財団という財団も、今回初めて知りました。
ついでなので、自分は20歳 (くらい) の時にどんな本を読んでいたか思い出してみます。少し期間を広げて、高校卒業から22歳くらいまでとします。記憶をたどって書いているので、実際には読んだ時期がずれている本もあるかと思いますが、そのあたりはご容赦ください。
今手元に残っている本で、この期間に読んだ本からいくつかピックアップしてみます。
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高橋悠治「カフカ・夜の時間—メモ・ランダム」
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池澤夏樹「スティル・ライフ (中公文庫)」
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いとうせいこう「ノーライフキング」
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中沢新一「リアルであること (1時間文庫)」
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関川夏央の本、貧民夜想會・水のように笑う・森に降る雨—RAIN IN APRIL
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干刈あがた「黄色い髪」
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福武文庫版の内田百閒。当時刊行されたものの半分は未だにあるはず
他にも色々あるのですが、このへんで。
「20歳の20冊」は1冊も読んだものがありませんでしたが、せっかく見つけたので、取り上げられている本をいくつか読んでみようと思います。