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ひとんちのアルバムを覗く趣味

「ひとんちのアルバムを覗く趣味」とは GHOST IN THE SHELL で出てくるセリフですが、これから書くことには関係ありません。すみません。

雑誌「新潮」に掲載された福永武彦の日記を図書館で読みました。
わたし自信は福永武彦は「夢みる少年の昼と夜」しか読んだことがありませんが、いつかちゃんと読みたい作家であることもあり、この日記を読んでみました。

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Windows / iPhone ユーザが読むMacPeople #rvpl

生まれて初めて触ったパソコンがMac (1991年頃。QuarkXPressの実習で使用) で、友人知人にもマカーは結構いる。しかし自分はWindowsを使い続けて今に至ります。これまで使用したアップル製品は初代iPod Touchと現在のiPhone4のみ。
そんな自分が、今回レビュープラスさんよりMacPeople2010年9月号をいただき、活字からMacの世界に触れてみました。
以下のレビューにはWindowsユーザの偏見や誤解が含まれているかもしれませんが、ご了承ください。

意外に読める記事が多かった
モバイル無線LANルータやオンラインストレージの特集など、今の自分にとって有用な記事が多い。特にオンラインストレージは導入を検討しているところだったので、非常にタイムリー。
オンラインサービスの発達で、MacとWindowsの垣根が以前より低くなってきていることを、今さらながら実感しました。
それ以外の記事も読みやすさと未知の世界をのぞく楽しさで、「こういうUIしてるんだ」「こんなのがあるんだ」って感じ。「自分にとっては使えない」内容ではあるけれど、それでも不思議なわくわく感とともに読めました。

ハードウェア系の記事があったのが意外だった
Macユーザは「ハードウェアを自分で改造したりする」ことはないと思っていたけれど、電子工作的な記事があったりハードウェア系の連載があったり。AMDのプロセッサの話が掲載されていたのが一番意外。自分はハードウェアは全く詳しくないけれど、こういう記事には目がいってしまう。

特別付録の「iPhone4パーフェクトガイドmini」は必読
iPhone4が初めてのiPhoneで、その都度Webで調べたりしてなんとなく使っていた自分には「こんなこともできたのか」というTipsが多く、とてもよかった。
例えばユーザー辞書なんか使えたら絶対便利なのに、iPhoneで使おうという発想がそもそもなかったし、ユーザ辞書の存在にも気づいてなかった。
あとはメール。購入時に説明は受けていたけど、余りよくわかっていなかったので、これでやっと仕組みがわかった。
iPhoneのTipsはWebで探せばいくらでも出てくるけど、自分にとってはこういうハンドブック形式で基礎を俯瞰できたことは大きなプラスになりました。

さて、Windowsユーザの自分はこれでMacが欲しくなっただろうか。
現在自分はデスクトップPCとネットブックを所有しています。どちらも買い換えの予定は今のところなし。
全面的にMacに乗り換えることはないにしても、Macがあってもいいのかも、とは思った。身近にアップル製品が全くないわけではなく、自分がiPhoneを使っているから余計にそう思う、というのはあるかもしれない。
実際に今Windowsで使ってるものを棄ててMacに全面的に移るのは難しいけど、Macがある生活はちょっと楽しそうですね。

Mac People (マックピープル) 2010年 09月号 [雑誌]
アスキー・メディアワークス (2010-07-29)

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「勝つに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

先日購入した地元情報誌のコラムを読んでいたら、最後に

「勝つに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

が引用されていました。これは野球の野村監督がよく使う言葉ですが、もともとは江戸中期の肥前国平戸藩の藩主、松浦(まつら)静山の言葉らしいです。
これを読んで、大学の試験の話を思い出しました。
どちらも自分が受けた試験ではありませんが、先生から直接聞いた話です。
どちらも理工学部の一般教養での話です。

倫理学の先生が、期末試験で「勝つに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」について論じろ、という問題を出したそうです。
すると答案に

「俺は野村なんか大嫌いだ、だからこんな言葉についてなんか論じたくない」

と書いてきた学生がいたそうです。先生は点をあげたそうです。

自分はビジネス雑誌などを読んでいて、「成功した人の言葉って役に立つのか?」と思ってしまうことがあります。そんな話を先生にしたときに返ってきたのが、この松浦静山の言葉と、試験の話でした。

もう1つ、これは哲学の試験の話。
期末試験で「アキレスと亀」のパラドックスについて論じろ、と出題したところ

亀は気まぐれだからまっすぐ進まず、立ち止まったり逆走したりするから、この試行はランダム性が高い

という趣旨のことを書いてきた学生がいたそうです。先生は点数をあげたそうです。

余談

松浦静山は名画日本史—イメージの1000年王国をゆく〈1巻〉によると、京都で松浦屏風 (大和文華館所蔵) を入手した人のようです。大和文華館は現在リニューアル中で、今秋にこの屏風が公開されるようなので見に行きたいと思っています。

名画日本史—イメージの1000年王国をゆく〈1巻〉
朝日新聞日曜版「名画日本史」取材班
朝日新聞社
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「繰り返す歴史」を改めて振り返る〜フォーリン・アフェアーズ・リポートを読んで

今回レビュープラスさんよりフォーリン・アフェアーズ・リポートを献本いただきました。今回はその中の論文「複雑系の崩壊は突然、急速に起きる」を読んで感じたことを書きたいと思います。

わたしは歴史の基礎知識が乏しい。高校で歴史の勉強をしなかったことが主たる原因なのだけど、専門的なことでなくても、日常のちょっとした会話で歴史の話が出てきてもわからないことが多い。
そんな自分でも、「歴史は繰り返す」ものであり、今世界で起きている様々な問題も、多くが「いつか来た道」であることは知っている。世界はそのように動いていて、その繰り返しで進んでいくものだと思っていた。しかし今回「複雑系の崩壊は突然、急速に起きる」を読んで、このような考えだけでは足りないのかもしれないこと、そして「歴史」と「複雑系」という、一見関係がないことも、2つを結びつけることで見えてくるものがあるなど、新たな視点を得ることができた。
実際大国が短時間で崩壊した例が過去にいくつもあることは、この論文を読んで初めて知った。ある大国の成り立ちはなんとなく知っていたけど、その終焉については全くと言っていいほど知らなかった。

しかし、確かに「しばしば予期せぬ変化が急激に起きる」ものだとしても、それすらを含めて「歴史は繰り返す」ものなのだろう。確かに急激な変化は何処で起きるかわからない。しかし、その変化も内容は違っていたとしてもこれまでに何度も起きている。繰り返しと急激で予期せぬ変化の2つの流れを持つ歴史の中にあって、崩壊を避けるためにできることは「常に片足を外側に向けておく」、つまりどんなときでも、何かあった場合にはすぐにその場から走り去れるように意識を持つことかもしれない。
しかし、実際そんなことは可能なのだろうか。「常に片足を外側に向けておく」こと、すなわち不測の事態に備えること、いずれ来る混乱に備えることは、この論文に指摘されるまでもなく、なかなかできることではない。
人間は「実際に目の前で起きたことしか理解できないし対処できない」ものなのだろう。だからこそ、将来のに向けた準備ができず、崩壊を迎えてしまう。歴史が繰り返すものなのも、結局歴史的なことは「自分の目の前で起きたことではない」ことがほとんどだから、そこから学ぶことに限度があるからかもしれない。歴史を知らないわたしはそんな風に思ってしまう。

この論文を読んで、歴史をもっと知る必要があると実感した。改めて勉強するのは難しいかもしれないけど、いろいろな歴史書を読んで、視野を広げていきたいと思う。

フォーリン・アフェアーズ・リポート2010年4月10日発売号
ニオール・ファーガソン スティーブン・デュナウェイ ゲリー・C・ハフバウアー 他
フォーリン・アフェアーズ・ジャパン

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雑誌の読書特集

時々雑誌で読書特集が組まれます。現在だとananがそうだし、少し前のBRUTUSや、去年になってしまいますが日経 WOMANの2009年8月号など。自分が気がついたのはこれくらいですが、他にもあるかもしれません。
こういう特集を見ると、とりあえず雑誌を手に取ってみるのですが、これまで買うに至ったことがありません。掲載されている本に興味がないわけではない、しかしなんか触手が動かない (まあ、ananに関しては元々自分とはかなり縁遠い雑誌だから、というのが一番の理由ですが。ぱらぱら見たところ面白そうな本は載っていたけど、やはり買う気にはならなかった)。
元々雑誌はあまり買わないのですが、それでも手に取った雑誌の書評は必ず見るし、そこから興味を持って読んだ本もある。「シュレディンガーの哲学する猫」なんか、スポーツジムにおいてあったオレンジページに掲載されていたのを見て、それで図書館で借りて読んでるし、「公僕—The Japanese civil servant」は立ち読みした週刊文春で特集されていたのを見て買ったし (しかし、その後マンションの水漏れの被害にあって開かなくなりました…)。

雑誌の書評自体は気にしてみるのに、読書特集を組んだ雑誌には食指が動かない。なぜなのか自分にも分かりません。
ちなみに書評雑誌に関しては、本の雑誌はかなり昔に読んでいたことがあるけど、ダ・ヴィンチは読んだことがありません。

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「こうであるはず」だったのものは実は〜クーリエ・ジャポン2010年3月号を読んで

クーリエ・ジャポンは、世界中のメディアから発信されたニュースを翻訳・編集した雑誌です。
今回レビュープラスさんから献本いただきました。

特集は「貧困大国 (アメリカ) の真実」。堤未果さん責任編集で現在のアメリカが、どれだけ貧困にむしばまれているかが丹念に追われています。
これを読むと、アメリカ国民がいかに借金に苦しめられているか (それこそ死んでも借金から逃れられない状況があるとか)、「普通の人」で生活に行き詰まる人がどれだけ多いかが見えてくる。ここではこれまで自分 (たち) が考えてきた「こうであるはずのアメリカ」は、ほとんど感じられない。

ルポの中に、フードスタンプ (食料配給券) 受給者の話が出てきます。驚くことに、これまでなら考えられなかったような人たちが、失業などをきっかけにフードスタンプ受けるようになってきているそうです。
そんな家族から失われて「安定」の象徴として返ってきた言葉が「ポットロースト (蓋のついた鍋で蒸し焼きにした肉料理)」。彼らは夫婦ともに失業したことから生活に行き詰まり、現在もかなり苦しい生活を送っている。でも、フードスタンプのおかげで、時には日曜日にポットローストが食べられるようになったという。
特集自体が重苦しいものではあるのだけど、このフードスタンプの話に胸が詰まった。

しかしこれは「遠い国」の話なのだろうか。確かにここに示されたアメリカの状況はひどいものだけど、それを何倍かに薄めたような状況は、すでに日本にもあるではないか。健康保険に関しては、日本はアメリカよりずっとマシなのかもしれないけど、それでも保険料が払えず、結果として必要な治療を受けられない人はじわじわ増えてきているといいます。借金にしたって、規模こそ小さいけれど、「必要な」借金が重荷になり、学校をやめたり家を手放す人も増えてきている。こんな中で自分たちができることは、様々な情報に踊らされることなく、何が起きていて、何が必要なのかをきちんと知り、きちんと考えて選択すること、ではないだろうか。これ自体が難しいことではあるかもしれない。でも、難しいからといって諦めてしまうと、より悪い状況に陥るかもしれない。それは心にとめておくべきだろう。

特集以外で興味深かったのが、ニューヨーカーの記事「ミシュラン覆面調査員とランチを食べてみた」。
ミシュラン覆面調査員がどのような人で、どのように料理を食べて評価するか、を追いかけた記事です。
食べ物の味について云々するのは難しい。だいたい自分はごく庶民的な食事で育ち生活しているし、食べ歩きのようなことはほとんどしない。必要に迫られない限りレストランガイドのようなものは見ない。だもんだから、東京版ミシュランガイドが発行されたときの騒ぎが理解できなかった。
その「理解できないもの」の裏側をのぞくという、奇妙な楽しみを味わいました
この特集を読んで思い出した言葉があります。それは嵐山光三郎が「文人暴食」で書いた

「料理は一定のレベルまでは料理人の腕によるが、頂点をきわめたそのさきには、悲しみの味つけが不可欠で、これは食べる側の問題なのである」

というもの。この「悲しみの味つけ」を排して料理を食べ分析するミシュラン覆面調査員は果たして幸福なのかどうか、と余計なことまで考えてしまった。

全体を通して、日本にいるとわからない視点からの記事が多く、暗い話も多いけれど、読んでいて楽しかったです。

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