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こういう書店員が近くにいれば〜盛岡さわや書店奮戦記

カリスマ書店員も最近だいぶ多くなりましたが、この方こそ「真のカリスマ書店員」でしょう。盛岡のさわや書店店長だった伊藤清彦さん。
今でこそ当たり前になった書店員自身によるPOPや本の帯を始めた人です。

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本は、頼れる仲間〜強く生きるために読む古典

日経ビジネスオンラインの連載「生きるための古典 〜No classics, No life! 」から抜粋・再構成された本です。

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本の楽園で遊ぼう!〜川原泉の本棚・川原泉の本棚2

数年前に買って、本棚の奥深くで眠っていた本。年末の大掃除中の本棚整理で発掘しました。
一度読んでいるのに、内容はすっかり忘れていました。

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こんな風に読めたら、こんな風に表現できたら〜心と響き合う読書案内

この本は日経ビジネスオンラインの千野帽子さんのコラム (2ページ目以降は会員のみ購読可。この本は2ページ目に載っています) で存在を知ったのですが、これをすでに読んでいた@shinomeiさんが貸してくれました。ありがとうございます。

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《書評》本との向き合い方の1つのモデル〜読書と社会科学

社会科学では、概念という装置を使って物事の本質を見極めようとします。自前の「概念装置」をどのように獲得するか、そのためにはどう本を読むべきか、という話が中心にあります。
この本の後半は、大学で実際に社会科学を学んでいる学生向けの講義をベースにしているせいか、わたしには難しいと感じられました。しかしこの本全体を通して出てくる「本をいかに読むべきか」という提言や、前半の読書会に関する記述はとても興味深かったです。
これは読書会をめぐる2つの問題「本をどう読むか」「どうすれば実りのある、持続的で楽しい場にすることができるか」について、著者が実際にとある読書会で講演した内容をベース再構成したものです。

読書会が楽しく育ってゆくかどうかの鍵は「聴くこと」にある。上手に聴くこと、一人一人がどの程度聴き上手か。
皆が下手に「話し上手」になって、結果として話し下手の人の口ごもりながらの発言を圧倒するようなことは避けなければならない。
これでも思い出したのが、現在自分が参加している名古屋ライフハック研究会。ここは「読書会」ではないのだけど、読書に関する関わりは深いと思う。ここでたくさんのいい本に出会っているからであり、1つの本を何人かで読み、お互いに付箋を貼り付けたりして読みの違いを確認する、という新たな楽しみを発見したからです。
この会は、「聴く」ことがよくできている場だと個人的には思います。本に対する評価は人それぞれだし、「とてもよい」といわれて借りた本が自分に合わなかった、と言うことは当然あり得るわけです。それでも、お互いの評価をちゃんと聴く姿勢があるから、次に本を薦められても手にとって読んでみよう、と思える。
わたしは単なる参加者に過ぎないので「楽しい」と言っているだけで済みますが、実際に運営しているスタッフの皆さんの苦労はいかばかりかと思います。すばらしい場を運営しているスタッフの皆さんにお礼申し上げます。

話を戻して。
この本の中に出てきたキーワードで、気になったものを挙げます。

「本は読むべし読まれるべからず」
本は読まなきゃ損。いい本は、上手に読めば、読んだだけの甲斐があったと思わせるだけのものがある。本でモノが読めるように、そのように本を読む。それが「本を読む」ということの本当の意味である。

「情報として読む」「古典として読む」
「情報として読む」は、文字通り新しい情報を取り入れるために本を読む読み方。「古典として読む」は、情報を見る眼の構造を変え、情報の受け取り方、自分にとって有益なものの考え方、求め方を変えていく読み方、すなわち
「情報を受取る眼を養うための読書」。
「情報」「古典」とありますが、一般的に言われる「情報」「古典」がそのまま当てはまるわけではない。「古典として読まれる雑誌(例として「暮しの手帖」が挙げられている)」「(案内という意味での)情報を得るために古典を読む」もあり得るわけです。

「信じて疑う」
本を読むときには、仮説的に信じて読む。信じなければ内容に踏みこめず、適当にしか読めない。信じて読むからこそ、解くべき問題や新たな創造につながる疑いを見つけることができる。しかしだからといって著者を盲信してはいけない。自分の読みに対する信念がなければ精読はできない。
本をよく選んで、一度選んだからには、そのときの自分の読みと本そのものを仮説的に信じて、本文を大切に、踏み込んで深く読む。
いい加減に読むくらいなら読まない方がいい。

「みだりに感想文を書くな」「感想にまとめやすい形で読むべきものじゃない」
本をていねいに読むためには、読みっぱなしにせずに書くことで感想をまとめておくことが大切。自分が読んだことを他人に伝えられる「独立した文章」にまとめあげる努力を通じて、初めて自分にもはっきり分かることがある。
しかし、感想を狙いに本を読んではいけない。最初から
「まとめやすい形」での感想を求めて掬い読みをしてしまうと、せっかく古典を読んでも、もっともいいところを取り逃がしてしまう。

著者は読書の対象として経済学 (やその他社会科学) の専門書が念頭にあるのだと思います。
しかしここに取り上げた教訓は、ビジネス書や自己啓発書を読むときの姿勢にも当てはまるものでしょう。
そもそも自分は「読むこと自体が楽しいから」読書をしているし、ビジネス書の類はあまり読まないんだけど、読むときの一つの指針になるかなと思う。
そして「概念装置」という言葉、学問上の話ではあるけれど、学問から離れたところでも自前の「概念装置」を持つことは重要だと思う。それを手に入れるためにすべきことの指針になると思います。

読書と社会科学 (岩波新書 黄版 288)
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《書評》ぐうの音も出ない〜水曜日は狐の書評

水曜日は狐の書評 —日刊ゲンダイ匿名コラム (ちくま文庫) (文庫)

「狐の書評」とは、1981年2月から2003年7月まで、日刊ゲンダイに週1回掲載された匿名新刊紹介コラムのことです。その書評の書き手が <狐> と表記されていました (コラム名は途中で何度か変わっているようです)。
日刊ゲンダイは読んだことがないけど、匿名書評家「狐」のことは、昔の本の雑誌で読んで知っていました。とにかく面白い書評だ、と紹介されていた

図書館で見つけて、読んでみることに。紹介されている本は200冊。1999年5月から2003年7月末までに書かれた書評で、小説・まんが・写真集・料理本など、ジャンルは様々。字数は1冊800字。自分が読んだことがある本は8冊。うち4冊がまんが

普 段本を読みながら、気になるところに付箋を貼っているのですが、今回は文章だけでなく「これは読んでみたい」と思った書名にも付箋を貼りまくりました。 貼ったのは61冊。おかげで文庫本がライオンになってしまった。そして、読んでいて楽しかった。知らない本に出会う楽しさだけでなく、純粋に「本を読む楽 しさ」を味わうことができた。

狐氏の1冊目の書評集「狐の書評」が行きつけの図書館閉架にあることがわかったので、今度借りようと思います

どうして彼 (文章から男性と思われる) は、こんな楽しい書評を書けるのだろう。ある書評を例にして考えてみます

取り上げるのは小林カツ代「料理上手のコツ」。狐氏は、小林氏の文章を高く評価しています。

本書は、料理をおいしくする基本のわざのあれこれにつき、カツ代流の知恵を込めて語る一冊。分かりやすい。イメージの喚起力が並でない。テレビの料理番組などで有名な著者ではあるが、文章家として広く知られているとはいえないだろう。それが惜しい。

引 用した文章の直前では、小林氏が「弱火」「煮含める」を説明した部分が引用されています。狐氏は小林氏の文章の特徴を「イメージの喚起力が並でない。」と 表現しています。わたしは狐氏の文章のイメージの喚起力もまた並でないと思う。「分かりやすい」と一言で言っても、何がどう分かりやすいのか、を短く的確 に伝えることは難しい。自分自身が「何がどう」をきちんとわかっていなくてはならないだけでなく、「何がどう」を誰にでもわかるように表現しないといけな いから。
なんか当たり前の結論に落ち着いてしまいますが、狐氏はその本を読んで要所を的確につかんだ上で、その要所を一読でわかるように伝えてい る。そしてなにより、本が好きな人なんですね。本に対する愛情が行間から伝わってくる。さらにその愛情におぼれることなく、的確に批評する (ここでは評価の文章を取り上げましたが、批判もあります)。きっと愛情と批評のさじ加減がとても上手いのだと思う。

もう一つ引用します。狐氏は川原泉をかなりひいきにしておられるようです。わたしもファンなので、ちょっとうれしい。

その川原泉「ブレーメンII (1)」の書評ページから。

自慢ではないが、一度くらいは引き倒してみたいほどに川原泉のマンガをひいきにしている。しいて分類するなら少女マンガと言うことになるが、たしかに、そんなものは敬遠するのが健康な大人の読者といえるだろう。読む本は選ばねばならない。人生はあまりに短いのである。
しかし何事にも例外というものがあるのが、これまた人生であろう。川原マンガこそはその例外中の例外、とりわけ、なかんずく、ことさら、別して、読まれる べき少女マンガなのである。…いかにも西洋的な (つまりは少女マンガ的な) 美男美女の顔が、純モンゴロイドの顔にくるくる変わる自己反省の深さが勘どころだ。
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…結末はまだ分からないが、馬鹿馬鹿しさ、脳天気さ、お気楽さ。まったく人生はあまりに短く、読む本は選ばねばならない。そしてこういう本こそ、選ばれるべきなのだ—-、呑気なフィクション (うそ、はったり) を遊んでみるためには。
(引用者注: 「ブレーメンII」はすでに完結しています)

わたしは「自己反省の深さが勘どころだ。」をよんで、膝を打ちました。自分が川原泉の絵に感じていたものはこういうことだったのか、こう表現すれば良かったのかと。

本を読んで、書評と称して好き勝手なことを書き散らしているだけの自分がこんなことを言うのはおこがましいのだけど、こういう文章が書けたら、と思う。本のことを的確に紹介し、文章そのものも面白い書評。道は果てしなく遠いけど、いろいろ挑戦していきたいと思います

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