カテゴリー: 書評

《メモ》読み方は正しくないけれど〜知についての三つの対話

これは対話形式で書かれた哲学書です。しかし、読んでいて演劇を見ているような気分になりました。内容を理解したとは言い難い。哲学書としては正しい読み方をしていないと思います。でも、読んでいて楽しかった。
さらに本の内容とは全く関係ないのですが、カバーに掲載されたファイヤアーベントの写真。気に入りました。アインシュタインの舌出し写真よりこっちの方が好きだ(笑)。

読み方は絶対正しくないと思うけど、わたしはファイヤアーベントが気に入りました。今回の「知についての三つの対話」は繰り返し読むのはもちろん、他の著作も読んでみます。

知についての三つの対話 (ちくま学芸文庫)
ポール・K. ファイヤアーベント
筑摩書房
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《メモ》「引用の楽しみ」を味わう〜名文どろぼう

献辞にもあるのですが、この本は引用で成り立っています。読売新聞のコラム「編集手帳」の筆者が、自身の「ネタ帳」にある名文の引用と、それに対するコメントで構成されています。
ここで言う名文は「心をくすぐる言葉、文章」のことなので、一般的な定義の「名文」よりは幅が広いです。「名文の主」も夏目漱石やゲーテ、パスカルから美空ひばりにツービート、はたまた40年前の松戸市長の名刺や日本国憲法に5歳の子どもまで。
著者は「はじめに」で「書いていて楽しかった」と記しています。その気持ちはわかります。

この本に取り上げられた名文で特にいいなと思ったのが、明治から大正にかけて東京帝国大学で経済学を講じていた和田垣謙三という人が、学生から「どうすれば金もうけができますか」と問われて答えた

「猿の毛を抜け!」

つまり、MONKEYの「K」を抜くとMONEYになる、と。学生を煙に巻きつつ、経済学をなんと心得る、とたしなめたようでもあります。

この本の名文は、直接役に立つものもあれば立たないものもあります。むしろ直接的には役に立たない言葉が多いかもしれない。
この本の帯には「名文を引用して名文を書く技術」とあるけれど、実際には文章を書く上での参考にはあまりならないと思う。
でも、多くの心惹かれる文章に触れ、単純に読んでいて楽しかったです。

最後に自分にとっての名文 (正確には名言か) を1つあげてみます。それはマツコ・デラックスさんの

「自分自身の孤独とちゃんと向き合っていれば、少しぐらい他人におかしなことされたり、言われたりしても、簡単には傷つかない」

という言葉。自分自身の孤独と向き合うことは難しいことですが、自分をしっかり保つには必要なこと。
今の自分はちゃんと自分と向き合っているとは言い難いかもしれないけど、この言葉を忘れないようにしています。

名文どろぼう (文春新書)
竹内 政明
文藝春秋
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「繰り返す歴史」を改めて振り返る〜フォーリン・アフェアーズ・リポートを読んで

今回レビュープラスさんよりフォーリン・アフェアーズ・リポートを献本いただきました。今回はその中の論文「複雑系の崩壊は突然、急速に起きる」を読んで感じたことを書きたいと思います。

わたしは歴史の基礎知識が乏しい。高校で歴史の勉強をしなかったことが主たる原因なのだけど、専門的なことでなくても、日常のちょっとした会話で歴史の話が出てきてもわからないことが多い。
そんな自分でも、「歴史は繰り返す」ものであり、今世界で起きている様々な問題も、多くが「いつか来た道」であることは知っている。世界はそのように動いていて、その繰り返しで進んでいくものだと思っていた。しかし今回「複雑系の崩壊は突然、急速に起きる」を読んで、このような考えだけでは足りないのかもしれないこと、そして「歴史」と「複雑系」という、一見関係がないことも、2つを結びつけることで見えてくるものがあるなど、新たな視点を得ることができた。
実際大国が短時間で崩壊した例が過去にいくつもあることは、この論文を読んで初めて知った。ある大国の成り立ちはなんとなく知っていたけど、その終焉については全くと言っていいほど知らなかった。

しかし、確かに「しばしば予期せぬ変化が急激に起きる」ものだとしても、それすらを含めて「歴史は繰り返す」ものなのだろう。確かに急激な変化は何処で起きるかわからない。しかし、その変化も内容は違っていたとしてもこれまでに何度も起きている。繰り返しと急激で予期せぬ変化の2つの流れを持つ歴史の中にあって、崩壊を避けるためにできることは「常に片足を外側に向けておく」、つまりどんなときでも、何かあった場合にはすぐにその場から走り去れるように意識を持つことかもしれない。
しかし、実際そんなことは可能なのだろうか。「常に片足を外側に向けておく」こと、すなわち不測の事態に備えること、いずれ来る混乱に備えることは、この論文に指摘されるまでもなく、なかなかできることではない。
人間は「実際に目の前で起きたことしか理解できないし対処できない」ものなのだろう。だからこそ、将来のに向けた準備ができず、崩壊を迎えてしまう。歴史が繰り返すものなのも、結局歴史的なことは「自分の目の前で起きたことではない」ことがほとんどだから、そこから学ぶことに限度があるからかもしれない。歴史を知らないわたしはそんな風に思ってしまう。

この論文を読んで、歴史をもっと知る必要があると実感した。改めて勉強するのは難しいかもしれないけど、いろいろな歴史書を読んで、視野を広げていきたいと思う。

フォーリン・アフェアーズ・リポート2010年4月10日発売号
ニオール・ファーガソン スティーブン・デュナウェイ ゲリー・C・ハフバウアー 他
フォーリン・アフェアーズ・ジャパン

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《メモ》遠いようで近いものを知る〜科学哲学の冒険

大学時代は理工学部というところにいたので、科学と哲学の近さというのは実感としてあるけれど、科学哲学そのものを勉強する機会はありませんでした。一般教養の先生でも科学技術に絡めて授業をしている人は多かったんだけど、科学哲学が専門の先生がいなかったので。でも勉強したい分野だったな。

専門的なことは大学卒業とともに頭の底に穴が開いて全部流れて行ってしまったので(^^; 基本的なことを聞かれても答えられません。この本の中に出てくる多くの法則なども「あー、すっかり忘れてしまってるorz」の連続でした。非常に惜しいことをしている。
NHKスペシャルの数学系の番組もよく見ますが、実にきれいに忘れている。ここまできれいに忘れるのもすごい、と自分で思ってしまうほど忘れている。でもだからと言って、勉強が嫌いだったわけではない。成績は悪かったけど、今からでも機会があったら勉強し直したい、という分野はあるので。

それはともかく、本格的に科学哲学の本を読む前の入門編としてこの本を読んだのですが、科学哲学というものを俯瞰することができ、対話形式なので取っつきやすくて楽しかったです。改めて、科学哲学は面白い分野だと思った。1回読んだだけでこの本の内容を理解できたわけではないけれど、もう少しこの分野の本をいろいろ読んでみたいと思いました。そしてまた、この本に戻ってきてみようと思います。

科学哲学の冒険—サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)
戸田山 和久
日本放送出版協会
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《書評》厄介ものとうまくつきあうために〜「つい悩んでしまう」がなくなるコツ

悩みはやっかいなものです。
生きていればあらゆる事が「悩みの種」になりうるし、「悩みがなくなれば」と考える人は自分も含め多いでしょう。悩みのせいで自分やりたいことができなかったり、苦しい思いをすることも少なくありません。

自分自身はこの本のカバーにあるような「カチンときた一言が何日も忘れられない」「失敗を何回も思い返してしまう」ことが多く、こういうことをなくしたい、少なくとも頻度を下げたいと思って、この本を手に取りました。
正直に言うと、最初に読んだときはよくわからなかった。「よくわからない」だけの本だったら、再び読み返すことはなかったでしょう。時間の無駄だもの。でも何か引っかかるものがって、再度読んでみました。

悩みを減らすキーワードは「自分がどう思っているかを大切にする。自分がしたいことをやる」。
悩みは何か、と聞かれたとき、いくつも悩みが出てきたりしますが、実はそれらの悩みは根本が一つであることが多いといいます。自分が目下抱えている悩み (思い出すのもつらいことではなく、軽いものでOK) を具体的に書き出してみることで、自分の悩みが何から発しているものなのか、自分が何を求めているのかをつかむことが大事。
悩みの解決が一見困難に思えるのには、「悩みグセ=思考グセ」がついているから。ぐるぐるした思考にはまって、他者を気にしているうちは悩みはなかなかなくならない。むしろ自分の気持ちや感情に沿った選択をした方がうまくいく。
必要なのは、自分の感情を受け入れること。例え不安や焦り、苛立ちといったマイナスの感情であっても、それは自分の心と体の一部なのだから、感情そのものを否定せずに受け入れることが大切。

自分がよく分からなかったのが、この「自分の気持ちや感情に沿った選択をする」ということ。わたしは自分が何を考えているのか分からなかったり、自分が感じているものを言葉に変換して表現するのがとても苦手なのです。こういうことになるのは自分の語彙の問題、あるいは思考力や表現力の問題だと思っていたのですが、むしろ自分の気持ちに鈍感だからなのではないか、そして自分の気持ちに鈍感な分、他人基準になってしまっている面があるのかもと思えてきました。きちんと自分の気持ちや感情を感じ取れてないから表現ができないのかもしれない。

自分にとってはちょっとした衝撃だった言葉がありました。それは
「みんな、悩んでいるのが好きなんですよ」
というもの。悩みを軽くとらえてほしい、との思いから、著者がよく発する言葉だそうです。
また、悩みは自分を守ってくれる役目もあるということ。
例えば「悩みがなくなったら○○したい」と思っていても、無意識で「本当は○○をしたくない」思っていたとき、つまり本当は望んでいないことを「自分の理想的なあり方」と信じてしまっているとき、無意識にその○○をしないようにするために悩みが起きる、とあり、これは少し驚きました。
悩みなんて厄介者でしかなく、なくなればどんなにかせいせいするか、と思っていたけど、実は悩みが自分を守っているなんて考えたこともなかった。

個人的には、心の中にある恐れを克服する方法、自分がやりたいことが周囲にどうしても受け入れられなかったり、実現が難しい場合の対処法まで書いてあればよかったな、と思います。これらは自分の考えで変えていかなくてはならないことだけど、そのためのヒントがあればもっとよかったと思う。最初に書いた「カチンときた一言が何日も忘れられない」「失敗を何回も思い返してしまう」ことにしても、具体的にそれを減らす方法をつかめたかというと、そうでもない。ぼんやりした感じは残る。でも、この本を読んだことは無駄ではないと思っています。

自分にとっては、悩みの正体に少し触れることができたこと、悩みというものをこれまでにない角度で見ることができたことが、この本を読んだ最大の収穫だったかもしれない。
とにかく厄介者、早くなくなってしまえとしか思っていなかったけれど、悩みの奥にあるもの、悩みを発しているものを知ることが大切なのかも、と感じました。
悩みと真正面から向き合うのは楽しい作業ではないだろうけど、自分をつらくしないためにも、その悩みの根本にあるものが何かをつかめるよう、自分に向き合い、自分をいたわる時間を増やしたいと思う。

完全に悩みのない状態などはあり得ないでしょうが、それでも悩みというものに対して、新たな視点を得ることができたのは収穫でした。

「つい悩んでしまう」がなくなるコツ
石原 加受子
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《書評》読書の効用を人に伝えるのは案外難しい〜読書力

齋藤孝氏の本を読んだのは初めてです。齋藤氏は「『○○力』という名前のベストセラーをたくさん出している、テレビにもよ く出ている大学の先生」という認識しかありませんでした。

この本における読書とは 「多少とも精神の緊張を伴う読書」「思考活動における素地を作るための読書」のことです。
読書力があることの目安とし て「文庫100冊・新書50冊」を読んでいることをあげています。「文庫」は「新潮文庫の100冊」にあるようなラインナップ(齋 藤氏の考える読書力は「文学を全く排除したものではあり得ない」)。新書は昔の岩波新書や中公新書のような、ある程度質の高い知識情報がコンパクトにまと まったもの。文庫と新書があるのは、文庫と新書では要求される読書力が違うから、だそうです。

齋藤氏は「本を読むことの意味は何か」という、案外答えにくい問いに対して、「読書によって…の力がつく」という形式で答えて います。
大まかには、各章のタイトルにある「自分をつくる—自己形成としての読書」「自分を鍛える—読書はスポーツだ」「自分を広げる—読書はコミュニケーション力の基礎だ」の3つ。
「自分を広げ る」では、ただ一人で読むだけでなく、読書会などで本を介して人とコミュニケーションをとるやり方にも言及されています。複数の人間で紙にキーワードを書 き込んでいくなど、面白そうな手法も紹介されています。

この本自体、岩波新書とし てはかなり読みやすい本だと思います。それほど時間をかけずに読めます。全体的に読書について熱く語られていて、齋藤氏の思い入れの深さが伝わってきます。彼自身が相当の読書家であり、自 己形成において読書から大きな影響を受けたという自覚、多くの読書に裏打ちされた知識があるからこその熱さだと思います。
そしてわかりやすい。語り口が明瞭で例えがうまく、説得力もある。これを「素晴らしい」と思うか、逆に「うさんくさい」と思うかは人によって分かれるところでしょう。

わたし自身は、読書は農業における「土作り」と同じで はないか、と思っています。そういう点では、読書に対する考えは齋藤氏に近いかもしれません。ただ、自分は古典をあまり読まずにここまで来てしまった、齋藤氏言う読書力の目安に到達してるとはいえないかも、という自覚があるので、偉そうなことは言えませんが。

実は今の職場で、「本を読んだ方がいいですか」という質問を二度受けてい ます。一度は入社2年目の男性社員から、一度は幼稚園児の娘がいるパート女性から(子どもに読ませた方がいいか、という質問)。どちらも「読んだ(読ませた)方がいいです」と答えたのですが、なぜ読んだほうがいいのか、はなかなかうまく伝えられないのです。「本を読んだ方がいいか」という質問の答えとし て、この本を薦めるのはありかもしれない、と思いました。
もちろん、齋藤氏の提唱する読書法が絶対ではないし、本の読み方は人それぞれ。読み方に正解はないと思います。でも、本を読むことの効用は非常に明快に書いてあるので、読んだ方がいい のか、と思っている人にとっては、分かりやすい指針になると思います。

読書力 (岩波新書)
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斎藤 孝
岩波書店
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《メモ》言葉にできない、でも読んでよかった〜夜と霧

先日の名古屋ライフハック研究会で、@stilo から渡されました。オーナーは @yutty

第2次世界大戦中にアウシュビッツの強制収容所に送られたユダヤ人精神科医の、収容から解放までの経験をまとめた本です。読むのがつらく感じる場面もありました。

彼が収容所で経験したことについては、なんと表現すればいいのか分からないし、軽々しく何かを言ってはいけない気がします。ただ、とにかく悲惨という言葉も生やさしいかもしれない状況を生き抜き、その経験をこうして本にまとめた著者に敬意を払うばかりです。
そしてこんな状況であっても、人間は自由な精神と尊厳を持ち続け、希望を失わずにいることができるのか。ただそのことに驚嘆しました (逆に彼は尊厳と希望を失わなかったからこそ、生き延びることができた、とも言えます)。

「つまり人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。」

「強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、未来の目的を見つめさせること、つまり、人生が自分を待っている、誰かが自分を待っていると、つねに思い出させることが重要だった。」

これらの言葉に、頭を殴られたような気がしました。

こんなことしか書けませんが、でもわたしはこの本は読んで本当によかったと思うし、読むきっかけを作ってくれた@stilo@yutty に感謝しています。

夜と霧 新版
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《書評》本との向き合い方の1つのモデル〜読書と社会科学

社会科学では、概念という装置を使って物事の本質を見極めようとします。自前の「概念装置」をどのように獲得するか、そのためにはどう本を読むべきか、という話が中心にあります。
この本の後半は、大学で実際に社会科学を学んでいる学生向けの講義をベースにしているせいか、わたしには難しいと感じられました。しかしこの本全体を通して出てくる「本をいかに読むべきか」という提言や、前半の読書会に関する記述はとても興味深かったです。
これは読書会をめぐる2つの問題「本をどう読むか」「どうすれば実りのある、持続的で楽しい場にすることができるか」について、著者が実際にとある読書会で講演した内容をベース再構成したものです。

読書会が楽しく育ってゆくかどうかの鍵は「聴くこと」にある。上手に聴くこと、一人一人がどの程度聴き上手か。
皆が下手に「話し上手」になって、結果として話し下手の人の口ごもりながらの発言を圧倒するようなことは避けなければならない。
これでも思い出したのが、現在自分が参加している名古屋ライフハック研究会。ここは「読書会」ではないのだけど、読書に関する関わりは深いと思う。ここでたくさんのいい本に出会っているからであり、1つの本を何人かで読み、お互いに付箋を貼り付けたりして読みの違いを確認する、という新たな楽しみを発見したからです。
この会は、「聴く」ことがよくできている場だと個人的には思います。本に対する評価は人それぞれだし、「とてもよい」といわれて借りた本が自分に合わなかった、と言うことは当然あり得るわけです。それでも、お互いの評価をちゃんと聴く姿勢があるから、次に本を薦められても手にとって読んでみよう、と思える。
わたしは単なる参加者に過ぎないので「楽しい」と言っているだけで済みますが、実際に運営しているスタッフの皆さんの苦労はいかばかりかと思います。すばらしい場を運営しているスタッフの皆さんにお礼申し上げます。

話を戻して。
この本の中に出てきたキーワードで、気になったものを挙げます。

「本は読むべし読まれるべからず」
本は読まなきゃ損。いい本は、上手に読めば、読んだだけの甲斐があったと思わせるだけのものがある。本でモノが読めるように、そのように本を読む。それが「本を読む」ということの本当の意味である。

「情報として読む」「古典として読む」
「情報として読む」は、文字通り新しい情報を取り入れるために本を読む読み方。「古典として読む」は、情報を見る眼の構造を変え、情報の受け取り方、自分にとって有益なものの考え方、求め方を変えていく読み方、すなわち
「情報を受取る眼を養うための読書」。
「情報」「古典」とありますが、一般的に言われる「情報」「古典」がそのまま当てはまるわけではない。「古典として読まれる雑誌(例として「暮しの手帖」が挙げられている)」「(案内という意味での)情報を得るために古典を読む」もあり得るわけです。

「信じて疑う」
本を読むときには、仮説的に信じて読む。信じなければ内容に踏みこめず、適当にしか読めない。信じて読むからこそ、解くべき問題や新たな創造につながる疑いを見つけることができる。しかしだからといって著者を盲信してはいけない。自分の読みに対する信念がなければ精読はできない。
本をよく選んで、一度選んだからには、そのときの自分の読みと本そのものを仮説的に信じて、本文を大切に、踏み込んで深く読む。
いい加減に読むくらいなら読まない方がいい。

「みだりに感想文を書くな」「感想にまとめやすい形で読むべきものじゃない」
本をていねいに読むためには、読みっぱなしにせずに書くことで感想をまとめておくことが大切。自分が読んだことを他人に伝えられる「独立した文章」にまとめあげる努力を通じて、初めて自分にもはっきり分かることがある。
しかし、感想を狙いに本を読んではいけない。最初から
「まとめやすい形」での感想を求めて掬い読みをしてしまうと、せっかく古典を読んでも、もっともいいところを取り逃がしてしまう。

著者は読書の対象として経済学 (やその他社会科学) の専門書が念頭にあるのだと思います。
しかしここに取り上げた教訓は、ビジネス書や自己啓発書を読むときの姿勢にも当てはまるものでしょう。
そもそも自分は「読むこと自体が楽しいから」読書をしているし、ビジネス書の類はあまり読まないんだけど、読むときの一つの指針になるかなと思う。
そして「概念装置」という言葉、学問上の話ではあるけれど、学問から離れたところでも自前の「概念装置」を持つことは重要だと思う。それを手に入れるためにすべきことの指針になると思います。

読書と社会科学 (岩波新書 黄版 288)
内田 義彦
岩波書店
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《書評》「普通」というのは難しい、いろんな意味で〜「普通がいい」という病

この本は、精神科医である著者がカウンセラー志望者などに向けた講座内容を一般向けに構成したものです。
「普通」という言葉はあたりまえのように使われますが、実は結構曖昧な言葉なのかもしれません。そして曖昧ながら、人を縛る力が強い言葉でもあるわけです。この本には「自分で感じ、自分で考える」という基本に支えられた生き方を回復するためにはどうしたらいいか、そのためのキーワードやイメージがが数多く登場します。

自分にとって特に印象的だった点を書きます。

第2講に「言葉の手垢を落とす」というのがあります。「言葉の手垢」とは、言葉にくっついている「ある世俗的な価値観」のことです。一度ある言葉を獲得してしまうと、その言葉についてじっくり考えたりそこにどんな手垢がついているのか吟味せずに、ただただ使っていってしまう。しかしそれが後々、物事を見たり考えたり判断する上で大きな影響を及ぼすようになる。それを思うと、言葉を不用意に扱うのは、実はとても恐ろしいことであると言えるのではないか。
この章をを読んで、はっとしました。確かに普段言葉を使うとき、特に考えることなく、何気なく使ってしまうことが多い。でもその言葉によって、
言葉を受けた相手を縛ったり、あるいは自分自身を縛ってしまう可能性がある。
自分が使う言葉すべてを吟味するのは現実には無理だろうけど、自分が発した言葉についた手垢がどういうものか、どういう意図で自分がその言葉を使ったのか、折を見て振り返るようにしたいと思います。

あと第8講「生きているもの・死んでいるもの」では、美術家の横尾忠則氏と医師の木村裕昭氏の対談が引用されているのですが、この中に木村氏の発言で

「…敏感な人は、同時に神経が細いというやっかいなことがある。だから、敏感になって太ければいいわけです。…」

とあります。わたしはこれを読んでびっくりしました。よく「敏感で細い」「鈍感で太い」という言い方はしますが、「敏感で太い」というのは考えたこともなかったからです。
この引用の直前で、人が成長し社会化されていく上で、どんな人も必ず通る「適応」のプロセスについて、その中で「本当の自分」を発見し、それを活かす方向に進めた場合と、うまくいかなかった場合について論じられています。
著者は「本当の自分」をしっかり持ち、さらに処世術的なテクニックを身にまとう事で自分自身を守ることの必要性を説いています。

自分のあり方を考えたり、自分以外の人や世界との関わりを考える上でのよいテキストだと思いました。
気持ちが沈んだり、自分を押さえ込みがちになってしまったときに、再び読んでみたいと思います。

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「こうであるはず」だったのものは実は〜クーリエ・ジャポン2010年3月号を読んで

クーリエ・ジャポンは、世界中のメディアから発信されたニュースを翻訳・編集した雑誌です。
今回レビュープラスさんから献本いただきました。

特集は「貧困大国 (アメリカ) の真実」。堤未果さん責任編集で現在のアメリカが、どれだけ貧困にむしばまれているかが丹念に追われています。
これを読むと、アメリカ国民がいかに借金に苦しめられているか (それこそ死んでも借金から逃れられない状況があるとか)、「普通の人」で生活に行き詰まる人がどれだけ多いかが見えてくる。ここではこれまで自分 (たち) が考えてきた「こうであるはずのアメリカ」は、ほとんど感じられない。

ルポの中に、フードスタンプ (食料配給券) 受給者の話が出てきます。驚くことに、これまでなら考えられなかったような人たちが、失業などをきっかけにフードスタンプ受けるようになってきているそうです。
そんな家族から失われて「安定」の象徴として返ってきた言葉が「ポットロースト (蓋のついた鍋で蒸し焼きにした肉料理)」。彼らは夫婦ともに失業したことから生活に行き詰まり、現在もかなり苦しい生活を送っている。でも、フードスタンプのおかげで、時には日曜日にポットローストが食べられるようになったという。
特集自体が重苦しいものではあるのだけど、このフードスタンプの話に胸が詰まった。

しかしこれは「遠い国」の話なのだろうか。確かにここに示されたアメリカの状況はひどいものだけど、それを何倍かに薄めたような状況は、すでに日本にもあるではないか。健康保険に関しては、日本はアメリカよりずっとマシなのかもしれないけど、それでも保険料が払えず、結果として必要な治療を受けられない人はじわじわ増えてきているといいます。借金にしたって、規模こそ小さいけれど、「必要な」借金が重荷になり、学校をやめたり家を手放す人も増えてきている。こんな中で自分たちができることは、様々な情報に踊らされることなく、何が起きていて、何が必要なのかをきちんと知り、きちんと考えて選択すること、ではないだろうか。これ自体が難しいことではあるかもしれない。でも、難しいからといって諦めてしまうと、より悪い状況に陥るかもしれない。それは心にとめておくべきだろう。

特集以外で興味深かったのが、ニューヨーカーの記事「ミシュラン覆面調査員とランチを食べてみた」。
ミシュラン覆面調査員がどのような人で、どのように料理を食べて評価するか、を追いかけた記事です。
食べ物の味について云々するのは難しい。だいたい自分はごく庶民的な食事で育ち生活しているし、食べ歩きのようなことはほとんどしない。必要に迫られない限りレストランガイドのようなものは見ない。だもんだから、東京版ミシュランガイドが発行されたときの騒ぎが理解できなかった。
その「理解できないもの」の裏側をのぞくという、奇妙な楽しみを味わいました
この特集を読んで思い出した言葉があります。それは嵐山光三郎が「文人暴食」で書いた

「料理は一定のレベルまでは料理人の腕によるが、頂点をきわめたそのさきには、悲しみの味つけが不可欠で、これは食べる側の問題なのである」

というもの。この「悲しみの味つけ」を排して料理を食べ分析するミシュラン覆面調査員は果たして幸福なのかどうか、と余計なことまで考えてしまった。

全体を通して、日本にいるとわからない視点からの記事が多く、暗い話も多いけれど、読んでいて楽しかったです。

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