《書評》「普通」というのは難しい、いろんな意味で〜「普通がいい」という病

この本は、精神科医である著者がカウンセラー志望者などに向けた講座内容を一般向けに構成したものです。
「普通」という言葉はあたりまえのように使われますが、実は結構曖昧な言葉なのかもしれません。そして曖昧ながら、人を縛る力が強い言葉でもあるわけです。この本には「自分で感じ、自分で考える」という基本に支えられた生き方を回復するためにはどうしたらいいか、そのためのキーワードやイメージがが数多く登場します。

自分にとって特に印象的だった点を書きます。

第2講に「言葉の手垢を落とす」というのがあります。「言葉の手垢」とは、言葉にくっついている「ある世俗的な価値観」のことです。一度ある言葉を獲得してしまうと、その言葉についてじっくり考えたりそこにどんな手垢がついているのか吟味せずに、ただただ使っていってしまう。しかしそれが後々、物事を見たり考えたり判断する上で大きな影響を及ぼすようになる。それを思うと、言葉を不用意に扱うのは、実はとても恐ろしいことであると言えるのではないか。
この章をを読んで、はっとしました。確かに普段言葉を使うとき、特に考えることなく、何気なく使ってしまうことが多い。でもその言葉によって、
言葉を受けた相手を縛ったり、あるいは自分自身を縛ってしまう可能性がある。
自分が使う言葉すべてを吟味するのは現実には無理だろうけど、自分が発した言葉についた手垢がどういうものか、どういう意図で自分がその言葉を使ったのか、折を見て振り返るようにしたいと思います。

あと第8講「生きているもの・死んでいるもの」では、美術家の横尾忠則氏と医師の木村裕昭氏の対談が引用されているのですが、この中に木村氏の発言で

「…敏感な人は、同時に神経が細いというやっかいなことがある。だから、敏感になって太ければいいわけです。…」

とあります。わたしはこれを読んでびっくりしました。よく「敏感で細い」「鈍感で太い」という言い方はしますが、「敏感で太い」というのは考えたこともなかったからです。
この引用の直前で、人が成長し社会化されていく上で、どんな人も必ず通る「適応」のプロセスについて、その中で「本当の自分」を発見し、それを活かす方向に進めた場合と、うまくいかなかった場合について論じられています。
著者は「本当の自分」をしっかり持ち、さらに処世術的なテクニックを身にまとう事で自分自身を守ることの必要性を説いています。

自分のあり方を考えたり、自分以外の人や世界との関わりを考える上でのよいテキストだと思いました。
気持ちが沈んだり、自分を押さえ込みがちになってしまったときに、再び読んでみたいと思います。

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「こうであるはず」だったのものは実は〜クーリエ・ジャポン2010年3月号を読んで

クーリエ・ジャポンは、世界中のメディアから発信されたニュースを翻訳・編集した雑誌です。
今回レビュープラスさんから献本いただきました。

特集は「貧困大国 (アメリカ) の真実」。堤未果さん責任編集で現在のアメリカが、どれだけ貧困にむしばまれているかが丹念に追われています。
これを読むと、アメリカ国民がいかに借金に苦しめられているか (それこそ死んでも借金から逃れられない状況があるとか)、「普通の人」で生活に行き詰まる人がどれだけ多いかが見えてくる。ここではこれまで自分 (たち) が考えてきた「こうであるはずのアメリカ」は、ほとんど感じられない。

ルポの中に、フードスタンプ (食料配給券) 受給者の話が出てきます。驚くことに、これまでなら考えられなかったような人たちが、失業などをきっかけにフードスタンプ受けるようになってきているそうです。
そんな家族から失われて「安定」の象徴として返ってきた言葉が「ポットロースト (蓋のついた鍋で蒸し焼きにした肉料理)」。彼らは夫婦ともに失業したことから生活に行き詰まり、現在もかなり苦しい生活を送っている。でも、フードスタンプのおかげで、時には日曜日にポットローストが食べられるようになったという。
特集自体が重苦しいものではあるのだけど、このフードスタンプの話に胸が詰まった。

しかしこれは「遠い国」の話なのだろうか。確かにここに示されたアメリカの状況はひどいものだけど、それを何倍かに薄めたような状況は、すでに日本にもあるではないか。健康保険に関しては、日本はアメリカよりずっとマシなのかもしれないけど、それでも保険料が払えず、結果として必要な治療を受けられない人はじわじわ増えてきているといいます。借金にしたって、規模こそ小さいけれど、「必要な」借金が重荷になり、学校をやめたり家を手放す人も増えてきている。こんな中で自分たちができることは、様々な情報に踊らされることなく、何が起きていて、何が必要なのかをきちんと知り、きちんと考えて選択すること、ではないだろうか。これ自体が難しいことではあるかもしれない。でも、難しいからといって諦めてしまうと、より悪い状況に陥るかもしれない。それは心にとめておくべきだろう。

特集以外で興味深かったのが、ニューヨーカーの記事「ミシュラン覆面調査員とランチを食べてみた」。
ミシュラン覆面調査員がどのような人で、どのように料理を食べて評価するか、を追いかけた記事です。
食べ物の味について云々するのは難しい。だいたい自分はごく庶民的な食事で育ち生活しているし、食べ歩きのようなことはほとんどしない。必要に迫られない限りレストランガイドのようなものは見ない。だもんだから、東京版ミシュランガイドが発行されたときの騒ぎが理解できなかった。
その「理解できないもの」の裏側をのぞくという、奇妙な楽しみを味わいました
この特集を読んで思い出した言葉があります。それは嵐山光三郎が「文人暴食」で書いた

「料理は一定のレベルまでは料理人の腕によるが、頂点をきわめたそのさきには、悲しみの味つけが不可欠で、これは食べる側の問題なのである」

というもの。この「悲しみの味つけ」を排して料理を食べ分析するミシュラン覆面調査員は果たして幸福なのかどうか、と余計なことまで考えてしまった。

全体を通して、日本にいるとわからない視点からの記事が多く、暗い話も多いけれど、読んでいて楽しかったです。

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名古屋ライフハック研究会vol.7 参加してきました

名古屋ライフハック研究会に参加してきました

今回はシゴタノ!の大橋さんが講師でいらっしゃるということで、会議室にびっしり人が。今回は「ツール使いこなしガイド」という題で、大橋さんが普段使ってらっしゃるツールについて、細かい使いこなしテクニックを伺いました。

大橋さんの講演およびライトニングトークについてまとめました

このまとめは、あくまでsazanamiがとったノートを基に構成したものであり、実際の講演内容の取りこぼしや聞き間違い等がある可能性があります。まとめの内容はsazanamiの責任によるものです

20100213名古屋ライフハック研究会

今回の収穫は、evernoteの使い方のヒントをいろいろいただけたことです。evernoteは使い始めてまだ日が浅く、いろいろ手探り状態なのですが、ノートの分け方や、特に「取り込んだ情報を振り分ける際に『すぐには必要ない』という情報であっても、削除せずに敗者復活のために保存しておく」との言葉は、なるほどと思いました

今回はライフハック研究会以外でつながりのあった方々に実際にお会いできたこと、「sazanamiさんのブログ読んでます」とおっしゃってくださった方が意外といたこと、そして懇親会で大橋さんに質問ができたことも、自分にとっては収穫でした。
以前ライフハック研究会に大橋さんがいらっしゃったときには、せっかく話をするチャンスがあったのに何も話せなかったのですが、今回は自分から大橋さんの席にお伺いして質問することができました。これだけでも自分にとっては進歩です。
そして大橋さんにお話を伺っている中で、自分にとっての課題も見えてきました。要領が悪かったりして、なかなかうまく物事を進められない面はあるのですが、いろいろ改善しながらがんばっていきたいです。
そして、研究会以外でつながりがあった方々にお会いできた、特に2年ほど前にあった某イベントでご一緒した方に再びお会いできたのは驚きでした。

そして今回も、何冊か本を借りたり古本をいただいたり、返却してもらった本を他の人に貸したりしてきました。
借りたのは「夜と霧 新版」「散文」、いただいたのは「読みもの日本語辞典 (角川文庫—角川文庫ソフィア)」「読書力 (岩波新書)」「死体とご遺体 夫婦湯灌師と4000体の出会い (平凡社新書)」。この本のやりとりこそが、この研究会の大きな楽しみの一つです。

今回は名古屋ライフハック研究会発足1周年、そしてバレンタインデー前日と言うこともあって、いろいろ頂きものをしました。

  • まず1周年記念のチロルチョコ DECOチョコ
  • あめいちゃんからかえるのクッキー (手作り、帰宅するときに少し割れちゃった、ごめんなさい)
  • Sさんからデコレーションしたミニシューとビスケット(これも手作り)
  • yさんからチョコ詰め合わせ

いただきもののお菓子

みなさんありがとうございます。ごちそうさまでした。
わたしからは、あめいちゃんにチョコレートを贈りました。

非常に楽しく有意義な時間を過ごすことができました。
大橋さん、名古屋ライフハック研究会の皆さん、ありがとうございました。

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《書評》「趣味が悪い」と言ってしまえばそれまでだが〜夜露死苦現代詩

「夜露死苦」というのは、言うまでもなくヤンキーがよく使うフレーズです。著者はこのフレーズについて

なんてシャープな四文字言葉なんだろう。過去数十年の日本現代詩の中で、「夜露死苦」を超えるリアルなフレーズを、ひとりでも書けた詩人がいただろうか。

と書いています。

この本は「現代詩」と書かれているけど、いわゆるプロの詩人が書いた現代詩ではなく、街角に埋もれたリアルな言葉から「ほんとうにドキドキさせる言葉」をあぶり出そうとしています。
取り上げられているのは

  • 寝たきり老人がつぶやいた言葉
  • 死刑囚の俳句
  • 玉置宏の話芸
  • 32種類の「夢は夜ひらく」
  • 暴走族の特攻服の刺繍
  • ヒップホップ、ラップミュージック
  • 知的障害者、統合失調症患者の詩
  • エロSPAMの文面
  • 湯飲みの説教
  • 見せ物小屋の口上

など16種類。それに「あとがきにかえて」として、相田みつを美術館訪問記。これらの「詩」から遠く離れていると思われる言葉から「ほんとうにドキドキさせる言葉」を探そうとします。
タイトルにも書きましたが、正直言って「趣味が悪い」言葉も少なくない。でも、趣味は悪いけど、読ませられてしまう言葉が並ぶ。不謹慎ながら、面白いんだ。
そもそも人を引きつけるために発せられる言葉にしても、人にどう思われるかについて全く考えられていない言葉 (表現が適切じゃないかもしれないけど) にしても、すーっと自分のそばに寄ってきて、ぐいっと引っぱられる感じがする。
(エロSPAMといえば、たまに「あんたこんなことしなくても、まっとうなライターとして十分食っていけるよ」って文章がありますね)

面白いだけでなく、この本で初めて知ったことも多い。
例えば

  • 玉置宏のナレーションが台本なしの話芸だったこと
  • 分速360字見当で話すのがもっとも聞きやすい速度であること
  • 喋りの間や、やりとりの基本は古典落語にあること
  • 「夢は夜ひらく」という歌は32種類もあること (この本にはそのうち13種類の「夢は夜ひらく」が収録されています)

あと、ラッパーダースレイダーについて書かれています。
ラップやヒップホップは聞かないのでダースレイダーという人はこの本で知りました。インタビューの中で彼は

ダースレイダーがトレーニングとして自分に課しているのが、「部屋で音楽をかけて、ひとりでもとにかく毎日ラップする」こと。…そうやって「何時間もラップしているうちに、自分でも思っても見なかったラップがリズムに乗って出てくるんです。自分の中にこんな表現が眠ってたのかというようなフレーズが」。
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「ラップは演奏でもあるわけですから、リズムなしだと結局、あとから書き直すことになるし。それに日本語としておかしいとしても、こう言ったほうが口はよく回るし、リズムには乗る、それをどうしていくのかを考えていると、日本語の可能性を追求していくことでもあるんだなと感じてます」

と話しています。これは魂の文章術に出てきたトレーニングに通じるものがあると思いました。ラップか文章かの差はあるけれど、とにかくおかしかろうとなんだろうと言葉を絞り出すことで、自分の中から新しい表現を呼び覚ます。
どんなことにせよ、表現したかったらとにかく表現する、出来を気にする暇があったら量をこなすのが大事なのですね。

ふと思ったよ。「リアルな言葉」と「リアリティのある言葉」って、どう違うのだろう。

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《書評》薄くて鋭利な刃物を連想した〜志賀直哉 [ちくま日本文学021]

志賀直哉は、高校の教科書に出ていた「網走まで」しか読んだことがありませんでした。

ちくま日本文学はアンソロジーなので短編のみの構成です。これらを読んでみて、志賀直哉は怖い人だと思った。特にそれを感じたのが「剃刀」。客を殺してしまった床屋の話なのだけど、冒頭から殺人が起きるまでの主人公の描写も、淡々としているのに心理などが明確にわかり、特に殺人場面はごく短い文2つだけで描写されているのだけど、それを読んで背筋が寒くなった。「城の崎にて」にしても、主人公が投げた石によって起こった出来事が本当に簡潔に書かれていて、わたしはとても怖いと思った。

本の最後に「リズム」という作品がある。一種の芸術論なのだけど、

 芸術上で内容とか形式とかいう事がよく論ぜられるが…自分はリズムだと思う。…
 このリズムが弱いものは幾ら「うまく」出来ていても、幾ら偉そうな内容を持ったものでも、本当のものでないから下らない。小説など読後の感じではっきり分る。作者の仕事をしているときの精神のリズムの強弱—-問題はそれだけだ。

とある。
自分は芸術家でもなんでもないけれど、「精神のリズム」というのはいろいろな場面に応用できそうに思った。生活しながらでも、リズムを意識してみるといいかもしれない。

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《書評》書け、書け、書け、己に出会うために〜「魂の文章術—書くことから始めよう」

この本はタイトルに「文章術」とあるけれど、書かれているのは具体的なテクニックやハウツーではありません。紙 (やコンピュータ) に向かってひたすら文章を書くことで、自分自身に向かい合い、自分を知る方法が書かれています。
よく「自分を知るためのテスト」といったものがありますが、どうもわたしにはぴんと来ないものが多いのです。でも自分を知るために書く、ということはしっくりきました。
おそらく、テストは最終的になんらかのタイプに自分を当てはめることになり、タイプがいくらあろうとも、結局「すでにある形」にはまるからだろうか。それに対して書くことはそれこそ不定形だから、「よくわからないもの」は、そのまま「よくわからないもの」として認識できる (はず) なので、その違いによるのかもしれない。

本の中に「第一の思考」という章があります。

  • 手を動かし続け、書いたものは消さない
  • 文章のレイアウトや句読点の誤りは気にしない
  • コントロールをゆるめ、考えない、論理的にならない
  • 書いている最中にむき出しの何か怖いものが心に浮かんできたら、それに飛びつく

というルールのもとに、時間を区切って心に浮かんだことをひたすら書き付けていく「文章修行」について書かれています。これは「
今からでも間に合う大人のための才能開花術
」にあった「モーニング・ページ」に通じるものですね。これは今度やってみようと思っています。

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余談

この本は友人あめいちゃんに借りました。以前「今からでも間に合う大人のための才能開花術」を借りたあと、「次はこっちを貸してあげるね」と薦められた本です。先約の数人の間を回ってやってきました
読了後、結局自分で購入しました

実は前出の文章修行およびモーニング・ページを見て、連想したものが2つあります。
1つは大島弓子ロングロングケーキ」に出てくる「宇さん」。主人公の頭の中に埋もれている何億という物語をすくい上げ、小説にしていった宇宙人。
もう一つは高橋悠治カフカ・夜の時間—メモ・ランダム」に出てきた一節

…自分用のノートがある。本からの抜き書き、音やリズムの思いつきにそえたメモ、演奏のしかたについての走り書きなど。
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このノートは方法論のためだと、ずっと思っていた。だが、目標や方法を信じなくなったあとでも、やはりノートはつづく。そこで、気がついた。これは、音楽の前の、朝の祈りのようなものだった。

なぜこの2つが出てきたのかは自分でもよくわからない。どちらも「書く」「表現する」ことに関わる内容ではあるけれど、「魂の文章術」と直接結びつく内容でもないのに。

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《書評》自分の見せ方について少し考える〜ネットがあれば履歴書はいらない

自分がインターネットを使い出して15年弱。
ごく単純なWebから始まり、メーリングリスト、IRC、日記、掲示板、SMS、ブログそしてTwitterと、使うサービスはどんどん変わってきてるけど、自分の世界がネットでものすごく広がっていることはずっと変わらない。
ネットを使い出した最初期に出会って、今も友人であり続けている人も多いし、ネットがなければ絶対に出会わなかったであろう人も多い。

自分はこれまでブランディングについてはほとんど意識してこなかったけど、興味はあったので読んでみた。
ツールの使い方がまとまっていてよかった。Twitterは使い始めて間もないけれど、Twitterと他のサービスのからめ方が具体的に書かれていたので、自分に合いそうなものを試してみたい。

———-

全体的にはいい本だと思うのだけど、個人的に「?」がつく箇所がいくつかあった。

ひとつめ。ネット婚活の話の中で、これまでとの結婚との比較で

いままでの出会いというのは、合コンや会社で出会った人と結婚する事例が多かったが、それは出会い頭の結婚のようなもの。結婚してみてから食い違いが出たりすることも多く、離婚も増加中だ

とあるんだけど、「合コンや会社で出会った人と結婚する」ことと「離婚も増加中」であることの因果がわたしには分からなかった。
あと、出会い頭の結婚だろうと、あらかじめ相手を知ってからの結婚だろうと、実際に結婚してから食い違いが出るという点は変わらないと思う。ここで言う「食い違い」が何を指しているか具体的に書かれていないけど、結婚生活も人間関係の1つである以上、食い違いが出ないなんて事はないと思うけどなぁ。

あともうひとつ。ブランディングの例で、犯罪者と同姓同名のケースを出すのはどうなのか。同姓同名の犯罪者が出るかどうかは自分ではどうしようもできないことのはず。今日は同姓同名の犯罪者がいなくても、明日史上まれに見る凶悪犯罪が起きて、その犯人が自分と同姓同名であった、というケースもあり得るはず。そういうコントロールの効かないものを例に出すのは適切ではないのでは。

あと、誤植と思われる箇所を2箇所発見しました (わたしが購入したのは第1版です)。
まず53ページ。

ツイッターで自分の病気の内容を公開すると、その情報を見たツイッターユーザーが、医者よりも多くの情報を他の教えてくれる

「他の」はトルツメかと。

次に212ページ。

…たとえば、ブロガーによる口コミの宣伝効果を狙い、清涼飲料水が有名ブロガーに送るというようなことも行われる。

「清涼飲料水が有名ブロガーに送る」は「清涼飲料水を有名ブロガーに送る」ではないでしょうか

個人的には、著者の考えには賛成できないところもあるけど、ブランディングのテクニックの本としてはよかったと思います。

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「20歳の20冊」、そして自分は何を読んでいたか

20歳の20冊」 というセレクションがあるようです。
選者には知らない人はいません (少なくとも全員名前は知っている) でしたが、読んだことのある本は1冊もありませんでした。選者にしても選ばれている本にしても、基準が今ひとつわかりませんが。
財団法人出版文化産業振興財団という財団も、今回初めて知りました。

ついでなので、自分は20歳 (くらい) の時にどんな本を読んでいたか思い出してみます。少し期間を広げて、高校卒業から22歳くらいまでとします。記憶をたどって書いているので、実際には読んだ時期がずれている本もあるかと思いますが、そのあたりはご容赦ください。

今手元に残っている本で、この期間に読んだ本からいくつかピックアップしてみます。

    • 福武文庫版の内田百閒。当時刊行されたものの半分は未だにあるはず
  • 他にも色々あるのですが、このへんで。

    「20歳の20冊」は1冊も読んだものがありませんでしたが、せっかく見つけたので、取り上げられている本をいくつか読んでみようと思います。

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    《書評》「作家」と「凡人」の間にあるものは〜ショート・サーキット

    「ショート・サーキット」は「短絡」のことです。佐伯一麦 (さえきかずみ)の初期作品を集めた短編集。佐伯一麦は干刈あがたのエッセイ集どこかヘンな三角関係で「無言微笑の人」として登場していましたが (当時はまだ電気工の仕事もしていた)、作品を読んだのは初めて。

    若くして父になった主人公が電気工として都市の裏側に入り込み、家族を養う日々、そして家族の成り立ちから解体までが書かれた短編集。家族の生活と、主人公が仕事であちこち飛び回る日々の描写の中で、なぜか強く印象に残った場面があります。

    1つめは、結婚した直後に住んだ「崖っぷちのアパート」のベランダ風呂に守宮が出た場面。守宮をつかまえ、風呂の窓の外に貼り付けて、二人で風呂の中から眺める様子が奇妙に鮮やかだった。

    そしてもう1つ、ある団地の空き家の修理で、家賃滞納の末立ち退きをくらい、その後合鍵を使って不法にその部屋に住み着いていると思われる元住民を追い出す場面。トイレのスイッチを取り替え、点灯確認しようとトイレの扉を開けようとすると開かない。何度か強く引っ張っても開かない。中に人がいると直感した彼は、トイレの中に向かって

    「そんなところに隠れていないで出て行けよ。おれはもう一軒修理をしてからまたここに戻って来る。そのときもまだここにいたら、管理人につきだしてやるからな」

    と一人言のように声をかけ、次の現場に行く。30分ほどして戻ってきたら、トイレの扉はうそのように簡単に開いた。トイレの中に人が潜んでいた気配はない。彼は自分の幽霊を見たような気がした。

    本の最後に収められた「木の一族」という作品の中にこんな一節があります。

    …たとえ、自分たち夫婦の諍いや、子供達の病気のことを書いたとしても、それは生きていく人間のあたり前の姿だと思っているからだ。確かに自分たちは、未熟な者同士の諍いの果てに、妻がガス栓を捻って始まった夫婦だったが、それを克服して生きて来たことを書き記すことは恥知らずでも何でもない。電気工事の仕事とともに家族を生かしてきた、その自分の仕事に誇りを持ってきたし、これからだってずっとそうだ。
    (引用者注:「子供達の病気」とは、長女の学校緘黙症、長男の川崎病のこと)

    これは家族をモデルにして小説を書き、新人賞を取った主人公が、妻にこれ以上家族のことを書かないでほしい、書きたいなら離婚してほしい、と迫られた場面の直後に出てくる、主人公の独白です。

    「それを克服して生きて来たことを書き記すことは恥知らずでも何でもない。」という一節を読んで、こう思えること、思って書けることが作家と凡人の分かれ目なのかもしれない、と思いました。

    「私小説」ってあんまり好きじゃないんだけど、彼の作品なら読めるかもしれない、と思った。そこに書かれる彼や家族の姿をどう思うかはともかくとして、私小説独特の、変なてらいのようなものを感じなかったので。

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    今さら「爆笑問題の日本の教養『No Books, No Life』」

    爆笑問題の日本の教養「No Books, No Life」(音が出ます)
    年末に再放送されたものを録画して鑑賞

    実はこの番組、初めて見ました。いつもこんな感じなのかはわかりませんが、まじめ一辺倒でもなくおちゃらけすぎるでもなく、いい感じでゆるさとまじめさが同居してるなと思った。今回の放送は自分にとって新しい話題があったわけではなかったけど、面白かったです。また今度、興味を引くテーマが取り上げられていたら見てみたい。

    現在の国会図書館長は蔵書のデジタルデータ化に尽力されている方のようですね。
    「電子図書館」の利点は非常によくわかるのだけど、自分はおそらく「調査」に利用することはあっても、そこで「読書」をすることはないと思う。
    というのは、わたしはデジタルでの読書がほとんどできないからです。青空文庫にしても、テキストファイルをある程度整形・印刷してでないと読めません。
    でも「デジタル読書」が問題なくできたとしても、やはり紙の本の読書を選択するでしょう。自分はやはりブツとしての本が大好きであり、そういう意味で「No Books, No Life」という言葉は非常によくわかる

    わたし自身は国会図書館に行ったことはありませんが、行ったらすごく楽しいだろうなぁ、もし可能なら1ヶ月くらい毎日通って、ひたすら本にまみれていたい
    そして館長の言葉「人生は自分なりの “本棚” を作ってゆくプロセスだ」、本当にそうですね。自分も自分の “本棚作り” に精進したい。

    しかし、太田光は不思議な人だ。向田邦子の恋文の解説を読んだときも「こんな文章書く人なんだ、意外だ」と思ったけど。まじめなのかおちゃらけてるのか、素であんな感じなのか仕事用の「顔 (これもいくつもあるだろうけど)」をしてるのか。

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