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22年ぶりの大ニュース〜カフカ / 夜の時間
1ヶ月半ほど前にtwitterで復刊情報を知ってから、発売をずっと待っていた「カフカ / 夜の時間」、そして新刊「カフカノート」。今週始めにAmazonから届きました。
「モレスキン 人生を入れる61の使い方」に抜き書きノートが掲載されました
9月9日に発売された「モレスキン 人生を入れる61の使い方」に、わたしの抜き書きノートが掲載されました。
発売前に見本として献本いただきました。ありがとうございました。
本は、頼れる仲間〜強く生きるために読む古典
日経ビジネスオンラインの連載「生きるための古典 〜No classics, No life! 」から抜粋・再構成された本です。
モレスキンで抜き書き
10代の終わりから20代にかけて、抜き書きノートというものを作っていました。
主に書籍からの抜き書きを書き連ねていたのですが、雑誌や新聞記事のコピーを貼ってあったり、好きな歌の歌詞を書いたりもしていました。
このノートは数冊ありましたが今手元にありません。30歳になって最初の燃えるごみの日に、10年間続けた日記とともに捨ててしまいました。
名古屋ライフハック研究会 vol.11「私のライフハック2010」参加しました
名古屋ライフハック研究会 vol.11「私のライフハック2010」に参加してきました。
参加者みんなが「お勧めのモノ」「お勧めの行動」を持ち寄り、発表する形式。
「思考の骨格」を作る本〜高校生のための批評入門
以前「高校生のための文章読本」という本を読みました。「高校生のための批評入門」は、文章読本と同じ「高校生のための三部作」の一冊です。文章読本を読んだあとに残りも読んでみようと思って手に取りました。
※高校生のための三部作:「高校生のための文章読本」「高校生のための批評入門」「高校生のための小説案内」
自分も「イエス」と言えるように〜それでも人生にイエスと言う
今年の春に「夜と霧」を読みました。その後、「夜と霧」を手渡してくれた stilo から「読め」と言われた本です。
この本は、著者が強制収容所から解放された翌年の行った講演をまとめたものと、訳者によるこの講演内容や著者の思想への解説で構成されています。
著者は講演の中で、強制収容所での生活や医師としての経験から、「どんな人生にも意味がある」ことを説いています。
その核心は
…私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答を出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。…
(p27「人生が出す問いに答える」)
という言葉に収斂されると思います。
しかし、人は「この人生にはどんな意味があるのか、生きることに意味があるのか」というように、この言葉とは逆に考えがちなもの。人生の問いに答えること、自分たちが問われている存在であることを理解し、その問いに答えるように生きていくことは、実は結構難しいことなのではないかと思いました。
しかし人生は思い通りになるものではないけれど、自分で動かしていかないと動かないものであるのも事実。自分の人生をどう動かしていくか、どう動かしていきたいかを考え、動かそうと行動していくことは、人生の問いに答えることにつながってくるでしょう。
タイトルの「それでも人生にイエスと言う」は、強制収容所で歌われていた歌の一節「それでも人生にイエスと言おう」からきています。強制収容所のような場所でも、人々が「それでも人生にイエスと言おう」と歌っていたことは、強烈な印象として心に刻まれました。
そして「心の支え」の大切さ。人によっては自分を待つ家族かもしれないし、やり残した仕事かもしれないし宗教かもしれない。心の支えを失い「典型的な強制収容所囚人」になってしまった人、あるいは病に倒れなくなってしまった人。
この本は2回読みましたが、正直言って講演や解説の内容を理解したとは言い難いです。それでも生きる意味や自分の人生にどうか関わるか、という非常に根本的な部分に思いを巡らせることができて、この本は読んでよかったと思っています。
話す・書く・行う
twitterでこれを見て、考えてみました。
話す・書く・行う。
虹の父さんが考える話す・書く・行うとは違うかもしれませんが、自分なりのとらえ方です。
話す人
自ら声を発する表現が最も重要
書く人
文字にての表現が最も重要
行う人
話す・書く以外でなんらかの表現をする。絵とか音楽とか起業とか、いろいろなものが考えられるか
こんな感じでしょうか。
自分は志向としては「書く人」だと思います。なんとなくですが「書いてみたい」という気持ちは結構前からあるし、数年前、知人の編集者に「書く気はないの?」と問われたときも、「書きたいと思う」と答えているので。
でも実際はどうだろう。
書きたいことなんか何もないくせに断片がカサカサ頭の中で音たててて
いざ書いてみると ひょっとこでおっちゃらぴーのうわごとのたわごとなんだ
岡崎京子「pink」
のように、頭の中がかさかさ音を立てている状態が延々続いて、結果「書く」に結びつかない状態が続いている気がする。
先の引用の台詞には、次のような返答があります。
世の中にはすてきなたわごともうわごともあるわ
そーゆーよーなものを書けばいいんじゃない?
たぶん、(素敵かどうかは別として) うわごとやたわごとでも、書けばいいのだろう。うわごとやたわごとでも、書いているうちに、いつか本当の「ことば」に行き当たるかもしれない。
「勝つに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
先日購入した地元情報誌のコラムを読んでいたら、最後に
「勝つに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
が引用されていました。これは野球の野村監督がよく使う言葉ですが、もともとは江戸中期の肥前国平戸藩の藩主、松浦(まつら)静山の言葉らしいです。
これを読んで、大学の試験の話を思い出しました。
どちらも自分が受けた試験ではありませんが、先生から直接聞いた話です。
どちらも理工学部の一般教養での話です。
倫理学の先生が、期末試験で「勝つに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」について論じろ、という問題を出したそうです。
すると答案に
「俺は野村なんか大嫌いだ、だからこんな言葉についてなんか論じたくない」
と書いてきた学生がいたそうです。先生は点をあげたそうです。
自分はビジネス雑誌などを読んでいて、「成功した人の言葉って役に立つのか?」と思ってしまうことがあります。そんな話を先生にしたときに返ってきたのが、この松浦静山の言葉と、試験の話でした。
もう1つ、これは哲学の試験の話。
期末試験で「アキレスと亀」のパラドックスについて論じろ、と出題したところ
亀は気まぐれだからまっすぐ進まず、立ち止まったり逆走したりするから、この試行はランダム性が高い
という趣旨のことを書いてきた学生がいたそうです。先生は点数をあげたそうです。
余談
松浦静山は名画日本史—イメージの1000年王国をゆく〈1巻〉によると、京都で松浦屏風 (大和文華館所蔵) を入手した人のようです。大和文華館は現在リニューアル中で、今秋にこの屏風が公開されるようなので見に行きたいと思っています。
朝日新聞社
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